Konohana’s Eye #7 加賀城 健 「Essential Depths」

「梅香さくらまつり」を楽しんだ後、帰路、the three konohanaへ家族で行きました。(加賀城さんとさくらまつり会場でお会いして一緒に)

Konohana’s Eye #7 加賀城 健 「Essential Depths」
http://thethree.net/exhibitions/2511

今回も布の染色作品による印象的な会場構成でした。
前回個展の感想。

加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130907/art

前回個展の作品にも、その前に拝見した奈良のHANARART2012の郡山城下町エリアの旧川本邸会場での作品にも感じた「作品世界へ一歩踏込むことで、そのイメージの中へ没入していき、同時に意識の世界へ戻ってこれる体験を産み出していて」というイメージが、今回の作品では、作品の中に没入していくよりも、どちらかと言えば対話する、会話するという構成の意図を感じました。

旧川本邸の印象的だった吹き抜けに配された鮮やかな大きな布も、前回個展で印象的だった祝屏風のような立体作品も、作品とそれが置かれた空間に誘導されるように観ながらも、観客は自由にその作品の表も裏も全ての部分を経験することが出来るようになっていて、観客はより豊かなイメージや情報に接する事ができる。もしくは作品に対して没入しつつも同時に観客の立ち位置による、それぞれの断片化したイメージを獲得していける。
前回個展の感想に、次のように書き込んでいました。

「the three konohanaの最初に拝見した展覧会、伊吹拓展の時の感想に、私は最後のところで、「デュシャンの大ガラスのように、もし透明なガラス面もしくは画布に彼が描いたらと空想した」と書き込んでいたのですが、加賀城さんの布のオブジェが、そのような透明な画布に描かれた(染められた)、大ガラスのように感じられてきました。
祝い屏風、対角線審判法の流れの軸のような、そして大ガラスのような。」

大ガラス以降、デュシャンは絵画を放棄したとされますが、加賀城さんの個展では、より絵画的、視線の軸を持った、より対面するようなバイアスのある作品群になっているように感じました。

大ガラス、もしくは祝屏風のような廻りこめる透明もしくは半透明な立体で、作品の表や裏自体の区別が消滅しても、人間的な感覚の限界によって、イメージは断片的にしか捉える事はできないし、想像することもそこから始まるように。

壁面に飾られ、もしくは床にずらされながら布置された作品群は、布に覆われたフレームを半透明に見せながら、裏面の全てを見せず、裏側はゼロではないが、1/2や1/3くらいにイメージが縮減してバイアスが掛かっている。

立体作品が不可避的に持つリアリティの強さに対して、絵画的に描くことの重要性があると思いますが、ここでは描くことを回避しつつ、いかに重いリアリティを蒸発させることが出来得るのか、とても刺激的な方法と感じました。