UC EAST個展 "Mube"

旧今宮小学校を出て、帰路、近所の山本製菓さんへ、「UC EAST個展 "Mube"」を家族で観ました。(3月21日再訪、追記。画像転載許諾済)

UC EAST個展 "Mube"
http://uceast89.blogspot.jp/

UC EASTさんは、まったく知らない作家さんでした。
先日、このはな区のthe three konohanaさんで拝見した、鮫島ゆいさんの個展で感じた「浮遊感」や「シュルレアリスム」のことなど、気になるので、朝、最近観たアートのなかで、浮遊感や幽体離脱的な感覚を感じた展示の記録をチェックしてみたら、4つありました。
そして、今日、これも偶然ですが、UC EASTさんから、今回のテーマが「浮遊感」であると。
今までどうしても重いイメージの作品になりがちだったので、浮遊するようなイメージで描きたかったと。
1階の作品のうち、ひとつの部屋は、今までの作品が展示されていて、ラフな感じで床に置かれ壁にもたれかけてありました。
それ以外の新作は、一部のタブロー除き、天井からワイヤーで吊るされた、薄い和紙にドローイングされていて、開放された窓からの風に揺れていました。
2階中央の、もともと置かれていた山本製菓の古いおかき製造機械を、部屋の中央に移動させ(重量は1トンくらいあるそうな、かなり大きな機械)、そして、その上に透明なアクリル板が吊るされていて、雲のようなドローイングがされています。
下の重い機械のイメージと、宙吊りの透明なアクリルの雲を観ると、どうしても、デュシャンの大ガラスのイメージを類推してしまいます。

デュシャンの大ガラス
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/07/7128.html

(大ガラスの下半分は独身男性の機械的な作動の、3次元を2次元に投影する透視図法的な、1点が決まれば無限遠まで確定可能なような、決定論的世界で、上部の花嫁の世界は、4次元的な浮遊する雲のような非決定論的な世界のイメージがあるが、上下は分離されていて、交わることがない)
かつ、まだ未完成でもあるらしい。
デュシャンは、大ガラス制作のあと、絵画を放棄したとされているけれど、おそらく、それは、過去の概念を超えた絵画を描いたことの自覚からではなく、むしろ、結局、重力の束縛から逃れられない、人間の思考の限界を観たのではないかと、私は感じている。

浮遊感や幽体離脱について、深く関わると思われる皮膚感覚の喪失についても連想する。
資生堂の研究者である傳田光洋氏の「皮膚感覚は自己意識を作っている」には、驚くようなことが書かれている。

http://kangaeruakari.jp/2015/10/3040/
『皮膚感覚は、私と環境、私と世界を区別する役割を担っています。では皮膚感覚がなくなったら、他者と自己の区別、つまり自己意識はどうなるのでしょうか?(中略)リリー博士は、アイソレーションタンクのなかで、自我が抜け出して、隣の部屋にひゅーと移動し、さらには地球の外まで行ってしまったと』

観察者中心座標系を強化して、いまここ的感覚を目覚めさせるようなハグマシーンの、逆作用のような装置を用いれば、幽体離脱が起きてしまうという。
浮遊感とは、観察者中心座標系を一時的に失う事なのか、それはシュルレアリスム的な感覚に近付いていくのか、まだエビデンスは掴めていないから、探求してみたいテーマですね。
そこには、アールブリュットの観察者中心座標系の弱さからの、こちら側へのジャンプの手懸りもきっとある筈と、思う。

3月21日再訪後の感想追記。
その後、様々に作品に手を加えてあり、またライブペイントにて制作された新作がこれも宙吊りにされて展示されていました。
当初の作品群の床にライトが置かれ、夜も光の変化を感じさせるものとされていたり。
ただ、それらが私には、作品に没入していく手懸りになるものと言うより、むしろ強いエンクロージャーもしくは結界のような働きをしているように感じられました。
それは、また、浮遊感をイメージした作品群に対して、しかし浮遊感のある作品を認知した場合でも、観た人に浮遊感のような、メタな感覚が生じるかと言えば、少し距離があるように、難しいテーマが未解決にある状態への作者の無意識的な反応であるかもしれません。
観た人が、作品内部にに没入できるか否かは作品を構成するスキルの問題でもある。
ただし、没入を拒む様々な結界的なものへの嗜好が作者の本質的なところであれば、そこへ向き合ってみる必要もあると感じる。

ドローイングの前に置かれた椅子と作業服と植栽とが、ドローイングへの近接を拒むような、結界となっている印象。

床に置かれたランプの周囲にバラスが撒かれ、結界となっている印象がある。

上記の結界的な設えを追加した作品群に対して、ライブペイントで描かれた作品群は、シンプルに近接可能なイメージがありました。
描く速度についてお聞きすると、音楽に合わせた速度で描き、また観客にも描く行為が分るように意識してとの事でした。


結界的な作品群と、ライブペイントの近接的な、多様なコミュニケーションのある作品群と、スケールアップしたものを観てみたいと感じます。
可能性に満ちた作品群、感謝です。