Eugenia Martinez Vallejo: la “Monstrua” di Spagna

Eugenia Martinez Vallejo: la “Monstrua” di Spagna
https://www.vanillamagazine.it/eugenia-martinez-vallejo-la-monstrua-di-spagna/?fbclid=IwAR3DA7lCB8KYJgBHDEJyLC5ck0r-kvK9Hg1EsUJxsWlRGeuWLAYCXkJk9rs

17世紀のスペインの宮廷画家の、ファン・カレーニョ・デ・ミランダが描いた、娘と同じprader-willi症候群児の物語。

16年前にその事を知り、少女の生涯を知りたいと思っていましたが、やっと知ることが出来ました。
prader-willi.hatenablog.com

(以下、機械翻訳による)
エウジェニア・マルティネス・バジェホ:スペインの「Monstrua(怪物)」と呼ばれた男
by ANNALISA LO MONACO
1674年のある日曜日、いつものようにホセ・マルティネスとアントニア・デ・ラ・ボデガは、子供を身ごもっていたので、彼らが住んでいたピエンツァの小さな村、バルセナの教会でミサに参加した。礼拝中にアントニアが破水し、近くの家に連れて行く時間がないことがすぐにわかったため、彼女は教会で出産した。新生児の将来の人生にとって、これ以上ないほど良い兆しとなった。
エウジェニアはすやすやと眠り、食欲旺盛に食べていた。少し食べ過ぎだったかもしれないが、当時、ある程度のふっくらとした体型は健康と美の象徴とされていたので(同時代の画家ピーテル・パウルルーベンスが描いた女性像を思い浮かべてみてほしい)、特に母親になることを運命づけられた女性にとってはポジティブなことだと考えられる。
以下、Vanilla MagazineのYoutubeチャンネルに掲載されている記事のビデオストーリーです。
もちろん、この子の体重は増えすぎていて、1歳で25キロ(「普通」とされる体重の約2倍)になっていますが、それでも誰も気にしていません。貧しい家庭に生まれた子供に対する主の祝福のように思えます。
時は流れ、ユージニアの体は異常に大きくなっていく。6歳で75キロにもなった彼女の体重を、頑丈な足が支えきれないようだった。
両親は、この子が「生まれつき」ではないことに気づき、医師が厳しい食事制限をするようにアドバイスしても効果はありませんでした。本人たちは気づいていないかもしれませんが、ユージニアはおそらく遺伝病であるプラダー・ウィリー症候群を患っています。プラダー・ウィリー症候群は、精神運動や知的発達の遅れ、筋緊張低下、肥満、過食などを引き起こす病気ですが、現代の医師の中には、クッシング症候群や、最近ではフレーリッヒ症候群など、他の病状を指摘する人もいます。後者の仮説はリコ・アヴェロ博士が提唱したもので、彼は「太くて柔らかくて小さい足と、尖った先の尖った足指は、画家が気づかないはずがない」という理由で診断を下した。
村のみんながかわいがっていたぽっちゃりとした明るい子ではなく、嘲笑の対象となり、同級生から激しいいじめ(今でいういじめ)を受け、両親が家に閉じこもらざるを得ないほどになってしまった。
孤立していたにもかかわらず、この驚異的な子供のニュースはマドリードの宮廷にまで伝わり、君主であるシャルル2世の耳にも届きました。シャルル2世は、健康や肉体的な美しさという点では、決して幸運とは言えず、ハプスブルク家の遺伝的な欠陥、つまり異種婚姻の結果に悩まされていたのです。そのためか、彼の周りにはドワーフや明らかな障害を持った人たちが多く、単調な毎日を打破してくれる「奇妙な」キャラクターが好まれていました(実際に宮内庁で働いている人もいましたが)。
1680年のある日、質素なマルティネス家に陛下からの使者が到着した。国王がエウジェニアに会いたがっており、両親と一緒にマドリッド宮殿に招待したのだ。
到着した少女は、王室の仕立て屋で適切な服を着せられ、宮廷に献上されました。彼女は大成功を収め、チャールズの喜びの人々のグループの一員となりました。彼らは安定した報酬を得ることなく、貴族の "寛大さ "に頼って生活していたことがわかる。
しかし、当時の記録者であるフアン・カベサスは、エウジェニアについてこう語っている。
"神はこの自然の奇跡を我らが無敗の君主シャルル2世(神のご加護がありますように)に伝え、カトリック陛下は彼に会うことを望み、両陛下とこれらの王国のすべての壮大な人々の賞賛を受けて、今日のマドリッドの王宮に彼を招待した。"
わずか6歳のウジェニーは、すぐに「ラ・モンスラー(怪物)」という愛称で呼ばれるようになり、シャルルのお気に入りとなった。シャルルは彼女を豪華なレセプションに招待し、宮廷の女性たちは(たとえ簡単な絵であっても)彼女の側に描かれることを競い合ったが、その絵は子供の巨体に比べて彼女たちが比較的スリムであることを強調していた。
カベサも語ります。
"ユージニアは白人で、体格は大きいが外見はあまり魅力的ではなかった。頭、顔、首などは男性2人分の頭の大きさで、お腹は世界最高齢の出産間近の女性のような大きさです。彼女の太ももは、肉厚で重なり合っているため、プライベートな部分は目に見えません。[彼女の足は体格に比例しており、ほとんど男性の足のようですが、体の大きさが不釣り合いなため、動くのも歩くのも困難です。"
チャールズ2世は、この少女を客人の目を楽しませるために利用しただけでなく、宮廷画家であるフアン・カレノ・デ・ミランダに描かせることにし、1680年に「La Monstrua vestida」と「La Monstrua desnuda」という2枚の絵を描いた。
1枚目の肖像画では、少女はシャルル自身から贈られた銀ボタンの付いたエレガントな赤のブロケードドレスを着ていますが、2枚目の肖像画では、彼女は裸で、ブドウの葉とブドウの房でかろうじて覆われています。
この2つのポートレートで最も印象的なのは、ユージニアの明らかな不快感と、悲しげに眉をひそめた表情です。豪華なガラドレスは、子供の肥満を強調し、彼女をグロテスクな姿にするだけで、服を脱いでポーズをとるところでは、人間性のかけらもなく、彼女はバッカス神の変形したコピーである神話的な生き物になる。
これらは芸術作品ですが、6歳の少女が何を考え、何を感じ、周囲の人々に何を伝えることができるのか、何も知らない彼女に共感すれば、深い不安感を抱くことでしょう。
1680年以降、ウージェニーは何をしていたのか、どこで人生を過ごし、どこで死んだのか、24歳か25歳の時に。これらの詳細は全く不明であるが、彼女がスペインの宮廷で暮らし続け、1699年に亡くなったことだけは確かである。
現在、プラド美術館では、エウジェニア・マルティネス・バジェホの2枚の絵が並んで展示されています。プラド美術館は、2枚の絵の説明の中で、「彼女の変形した姿にある種の尊厳を与えようとした」という画家の努力を強調しています。
確かにユージニアは、やがて自分の肖像画が何百万人もの人々の目に触れ、Tシャツやマグカップ、ハンドバッグなどの装飾として使われるようになるとは想像もしていなかっただろうし、それを聞いても喜んだりはしないだろう。
おそらく彼女は、「なぜこのようなことをするのか」と尋ねたことでしょう。
答えを出すのは簡単ではありませんが、それが何であれ、フリークショーやヴィクトリア朝の精神病院の見学、そして最近では凶悪な犯罪事件への病的な関心など、私たちの周りにある「モンスター」を見つける必要性と関係があります。その「味」は、私たちが普通であることを確信させてくれるものかもしれません。

加藤 巧「Re-touch」

加藤 巧「Re-touch」

http://thethree.net/exhibitions/5581
the three konohanaのwebより引用

6月27日、午後、家族と伺いました。加藤さん在廊されていて、詳しくお話も出来て作品の理解が深まりました。
過去、the three konohanaで、加藤さんの作品は3回拝見していて、その度に様々な新たな気付きを感じさせてくれる刺激的なアートと思います。
最初に拝見した2016年の「Array」展のレビューに

https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20160803/art
『小さな画面の卵テンペラの絵画は、自身のドローイングの二次創作であり、具象性や他者性が無く、大きさに対して非依存的であり、大きさの無い世界とも感じる。それは視覚と同時に皮膚感覚に近接する。それら点のような作品群を、具体の場所に等間隔に並べるルールで配列するとき、その配列の中に大きさの世界と不変項を感じる』

と最後に皮膚感覚への近接のイメージを記録していました。
次に拝見した、2017年の「transfer guide」 加藤巧×前谷康太郎展のレビューには、

https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20171112/art
『加藤さんの作品に感じた「意識は瞬間的に世界を分離し断片化し、無意識はそれを緩慢に接続する」と同様のイメージを前谷さんの作品にも感じます。偶然性に対する受容が前谷さんの場合、加藤さんの作品に較べ、より不可避的というのか、それが作品の基本的な骨格を形作っているように感じる』

最初に拝見した「Array」展で感じた、皮膚感覚への近接のイメージと、「transfer guide」展で前谷さんの作品により強く感じた偶然性の受容の問題とが、今回の「Re-touch」展において、より明確に意識され強度を持って表現されていると感じます。
皮膚感覚という「ヒューマン」に属し、かつ観察者中心座標系に関わるものと、偶然性という「ノンヒューマン」な、環境に関るものとが、「意識は瞬間的に世界を分離し断片化し、無意識はそれを緩慢に接続する」ような方法で、作品化されている。
今回の作品のうち、断片化したピースを亀裂をより明示するように中央で縦に継がれた作品を見ていて、私はデュシャンの大ガラスのことを連想しました。
従来の網膜的絵画の限界を超えようと試みたデュシャンの大ガラスは、性的イメージで区分された2段のうちの下半分は、独身者(男性)の世界=透視図法で3次元の世界の2次元世界への投影として描かれている。透視図法という、ものの配置が一義的に無限遠まで確定可能な、ある意味で決定論的な世界と、上半分の花嫁(女性)の世界=雲のような不確定な形態すなわち非決定論的世界が、4次元世界の不可知な想像上の存在として、その断片としての3次元への連続体がさらに2次元へと投影されている、とても複雑な構成になっている。しかし、上下の世界は金属の枠によって分離されていて、交わることがない。
デュシャンは大ガラスの完成後に絵画を放棄したとされるそうですが、それはおそらく、網膜的絵画=ヒューマンに属する絵画の限界を超える試みの具現化であったはずのものが、冷静に見れば、人間を支配する重力という環境の不変項による上下感覚の提示に過ぎないと自身で気付いたからではないかと思っています。
そして、完成後の運搬中の事故によりガラスが割れて亀裂が生じたことを、デュシャンはむしろ喜び、作品の完成とした逸話が興味深い。偶然性の受容がそこでより意識され、かつその後、性的な触覚的なモチーフのオブジェを作り始めたことも、様々な示唆を感じる。
加藤さんの作品では、断片化されたピース自体が指で形成された下地材であり、お聞きしたところ、制作中に壊れたものではなく、意図的に壊したピースであるという。それを亀裂をより明示するような継ぎ方をされている。
以前、西成区のアートスペースであるココルームの釜ヶ崎芸術大学で横道仁志氏(中世美術研究者)の講義で、中世の宗教画では神の姿は直接的には描かれず、シンボリックな中央の柱等で表現されると教えて頂いた事を思い出します。
加藤さんの亀裂の明示化された作品の、その亀裂はそのような、描けない不可知なものを示すのか、そこは分からないですが、これらが拡大していき、人間を包むような、洞窟的なフォルムを持つ時、必然的に生じてくる継ぎ目の問題として、現れてくるように感じました。

その洞窟的な空間において、今ここ的感覚をもたらし、不安では無い、心に安定を与えるものは、視覚よりも接触系の皮膚感覚であるだろう。