はならぁと こあ ー 宇陀松山エリア ー 展覧会 「SEASON 2」

昨年拝見した、はならあと「SEASON 2」展のレビュー、やっと書けました。長谷川新さんのキュレーションの展覧会は節目にとても大きな影響を私に与えてくれますし、素晴らしい展示でした、改めて感謝です。

2023年10月29日(日曜)
はならぁと
こあ ー 宇陀松山エリア ー
展覧会 「SEASON 2」
https://hanarart.jp/2023/uda.html

キュレーターの長谷川新氏が以前、私が敬愛する彫刻家の福岡道雄さん達の時代のアーティストを再評価した「無人島にて—「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」展を企画されたことをきっかけに、そのキュレーションに興味を持ち、2016年の「クロニクル、クロニクル!」展
https://prader-willi.hatenablog.com/entry/20170328/art
を拝見して、それへのレビューは、ある意味で20代で現代アートからフェイドアウトしてしまった私の卒論のようなもの(無意識にしていた行為や思索の意味をアンカーする為の)と感じていました。以来、長谷川氏の企画は常に注目していましたが、久し振りに、はならぁとの展示で再見することも出来ました。そして「クロニクル、クロニクル!」展が私の卒論であるならば、この「SEASON 2」展は再始動(と言っても娘のアーチャンアートギャラリーを運営していく上での再考)の為の手掛かりとなるような、そんな印象を得ました。それ故にか、なかなかレビューを書くことができず、迷いましたが、福岡道雄氏の死去と共に、私の中の現代アートに対するある種のバリアーというのかトラウマのようなものも、霧消していくように思います。
それは、一つには私の20代の、もう40年以上前の1980年代の現代アートが、私が接していた現代アートの、大雑把に言えばホワイトキューブな場でのアンカーされたアートから、主に娘の知的ハンディへのサポートを介して参加してきたアーティスト主催のワークショップやコミュニティアートによって、バリアーやトラウマみたいなものが既にほぼ霧消されていて、それをよりメタな視点で、今回の、はならぁと「SEASON 2」展の長谷川氏のキュレーションによって、認知したと、アンカーしたと感じています。

「クロニクル、クロニクル!」展で感じた二つのクロスするテーマ、「人間(没入)/人間外」と「身体を必要とする/作家の蒸発」は、 「SEASON 2」展でも踏襲されているようで、会場の宇陀松山の民家と、そのインテリアにフィットしている家具群(それらは元々在ったものなのか、展示に合わせて搬入されたものなのか分かりませんでしたが)に沿った展示は、人間への没入と身体を必要とする日常そのもので、表現としては最近各地で観てきた民家を利用した展示のキュレーションの見慣れた光景であるかもしれない。それに対して今回、特に強く感じられたのは、
「人間(没入)」と「身体を必要とする」ことに対立する「人間外」と「作家の蒸発」の部分に関わる部分で、「クロニクル、クロニクル!」展においてはそれもまたアーティスト自身の作為によって成立している世界であったと感じたが、「SEASON 2」展では、それ自体が人間外のちからや方法で行われているように感じました。

具体的な展示内容について

いくつかの会場に分散された展示のうち、最初に森岡医院へ。建物内に水路の水が流れて池のようなものが作られている不思議な印象的な建物。

ユアサエボシさんのプロフィールが「架空の三流画家」とあり、その設定やら描かれている作品のイメージから、謎だらけだし、少なからず戸惑うのですが、このアーティストを選ばれた理由は、おそらく「人間外」と「作家の蒸発」の部分に関わるのだろうと感じます。一人なのかチームなのかとすら思い始めるような、また描かれたイメージも設定の時代のアーカイブから選ばれたような、端的にAI的な方法で作画されたのか、とも感じる。

2階の部屋に置かれた朝海陽子さんの作品では、実在するのか否か不明な建築の平面にダイアグラム的に構成された視点とインテリアの写真との写像があり、無限に生成されるであろう世界を予感させている。ここではアーティストのプロフィールではなく、作り出す世界がアーカイブからの写像のように思える。

少し歩いて次に辿った千軒舎での、丸木スマさんは原爆図の丸木夫妻の丸木位里さんの母だそうで、まったく知らない方でした。原爆図からは対極的な、素朴な自然の光景や植物、動物の絵はとてもアイコニックというのか、愛らしい。アイコニック故か画面を切り取り撮影しても充分に成立するし、これらもまたアーカイブとして編集可能なものであると感じてしまう。
山本悠さんの展覧会のポスター画は、そこを意識されたのか、もともとそのようなテイストの方なのか分かりませんが、丸木スマ的なアーカイブからの再構成のように、そう感じてしまう。

次に辿った、クローン文化財さんの、ミレーの「種まく人」の精度の高いレプリカは、テクスチャー含め、ほぼ実物を観るのと同じクオリティなものでした。技術への驚嘆と共に、ここにも私はアーカイブへの指向と作家の蒸発を感じました。

選ばれたアーティストたちのイメージに、直接的にAI的な表現や解説は有りませんでしたが、私がそう感じたのは、もの凄い速さで普及していくAI技術故だろうし、あらゆる表現が避けがたく、考ええざるを得ない状況からだと思いますが、ここではAI前夜的な、暗闇の中でうごめく無意識のような(森岡医院の室内に取り込まれた不思議な水流のうねりと音がその思いを増幅しました)表現に留めているのも興味深い。それは19世紀の動画技術の登場前夜の、例えば動画発明直前に自殺したゴッホの絵画のように、動的な視点で描かれたイメージのようであり、また動画発明以後のデュシャンのあえて動画的表現から離れつつ(動画のもつ視点の一元性からの逃避か)、分析的な絵画を描いたように、長谷川新氏のキュレーションにおいても、AIを既に通過している時代において、あえてAI前夜な表現に意識的に留めているように感じました。

AIに関心を持った契機

昨年の3月に娘のアーチャンが出品したアートフェア東京を家族で観に行った際に、その前日に観た【一般財団法人たんぽぽの家主催】展覧会「Art for Well-being 表現とケアとテクノロジーのこれから」に驚き感動もしました。
https://ccbt.rekibun.or.jp/events/art-for-well-being?fbclid=IwAR2F4lZ9ZlpOWW31c1py3-CV4cUAtpDMCukoMp_-Nu5NHfFzT8lqJZ6W0xk

展覧会関連資料
https://note.com/goodjobproject/n/n7eb32b175618?fbclid=IwAR19p4Z0P5Ys7OjwdvwBmcFx54QY4aaf_Cp9_YT8muNGGpu_rq2i8WIPWdE

一部レビュー再録
障がい者のアート制作にAI技術を応用するという、最先端の取組でした。いくつかのプログラムのうち、若い頃から絵画を描いて来られた障がいのある方が高齢化と重症化で、十分に描けなくなってしまわれて、でも心の中で描き続けるんだと強い意志を持たれた方を何とかサポートしようと、たんぽぽの家のスタッフさん達がエンジニアさんと協働して、AIにその方が長年描いてきた猫の画像を取り込み、AIが新しい、その人が描くであろう絵画を創出するという、スタッフさんたちの愛と新しい技術が融合しつつある、驚きの方法でした。「何が本人の表現を成立たせているのか」をAIが探り出すところは、障がい者アートにおいて私が一番不足していると感じる、障がい者アートに対する批評の部分をクローズアップしてくれるのではないかと期待させられる』

そしてこのAI活用の障がい者アートの支援の取組事例の展示を観ていて、以前から感じていた、障がい者アート自体の2次創作からのn次創作の流れとも感じるクリエイションとサポートの関係を改めて思い出しました。今まで多くの障がい者アートを観てきて、ほとんどの作者が何らかの資料等を見ての2次創作である事に気付きますが、そこから、その作品を施設のサポートスタッフ達がセレクトして再構成してのグッズ等商品化される時に、商品化された作品の作者が以後、とても作品のテイストが明確になり、アートとして大きな飛躍を遂げているのではと感じる機会がありました。おそらく想像するに、自分の作品自体からよりも、イメージが切り取られ再構成して商品化されることで、自分の作品がどう見られているか、自分のテイストはどのようなイメージなのかに気付きを与えられているのではと思います。サポートする側が意識的にアンタッチャブルに(創作方法自体を誘導しなくとも)していても影響を与えるのは不可避だろうし、それはプラスのことと捉えたい。この一連の緩慢な連鎖は、AI活用とアーカイブとの関連のようであり、AI以前からそのシステムは人間の関係として機能していたのではと思わせる。

私がずっと娘のアーチャンのアートの記録をし続けてきたのも、アーカイブを形成する為だったと気付かされたし、そして仮にあまり考えたくは無いが現実的に有り得る事として、娘が何らかの理由で描けなくなった時に、そのようなAI活用でサポートしていけないか、そのサポートは私でなくとも可能である事だと。そしてアーカイブは日々、追加されその全体像は増加し変貌していくのだろうけれど、リアル世界で描けなくなったとして、そこでAI的なサポートで描いたイメージもまたアーカイブとして積み重ねられ、アーカイブの全体像は変化し続けるのではないかと思えてくる。その時、そのアーカイブは底が抜けていて、無限に生成され始めるのだろうと。

はならぁとこあ 「SEASON 2」は、そのように続いていく世界を示唆しているのかもしれない。

阿児つばささんと宮崎竜成さんの作品については、そのような視点での理解が充分に出来ませんでしたが、intimateな空間イメージがあり、次回のはならあと展で「クロニクル」展のように、同じ作家で変転を見せるのか、その差異によって初めて理解の契機を得るのかもしれません。

森岡医院で配られていた球根(この地域の薬草園であったり特産のダリアを連想させるがチューリップの)を数個持ち帰り植えたところ暖冬故か早い目に芽吹いてきた。逞しい生は続く。

Art Fair Tokyo 2023

Art Fair Tokyo 2023
incurve.jp

アーチャンが通うアトリエインカーブさんが毎年、アートフェア東京に出展されていて、今年のメンバーにアーチャンが選ばれ展示してきました。
6点出展し、うち3点が売れました。
夢のようです。
これも、今まで温かく接してくださった皆様のお蔭です、感謝です。