新野洋展 「幻想採集室」

午後、アーチャンお迎えの帰路、火曜日は2時15分と早いので東梅田で降りて、YODギャラリーへ行き新野 洋展 「幻想採集室」を観ました。

新野 洋展 「幻想採集室」
YODギャラリーのHPより引用
http://www.yodgallery.com/current.html

新野洋さんの個展は3年前の4月にここで拝見していました。それがYODに初めて伺った日、山中俊広さんとの出会いの日でもある。

当時のブログ記録
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20110409/art04

とてもインパクトのある展覧会だったし、再度見てみたいと思いました。
当時の新野さんの作品に対する印象として、ブログにはこんな風に記録していました。

「ただ、素材をそのまま使ってオブジェ化されていないこと、素材から模ったものを使って、素材を偽装するかのように使われている意味は何だろうと空想してみました。
おそらく、そのような模る作業を介することが、作家にとっての現実との強いフィット感を生んでいて、生の素材をそのまま使うだけでは得られない、世界との関係が生じているのではないだろうかと。そこには、二次元と三次元の中間体のような、断片化した現実を捉える、透明人間にペンキを投げかけて、その存在を露にするような、想像上の行為が含まれているように。」

自然素材をそのまま使うのではなく、模ったピースを用いて想像上の昆虫を作っていくという、気の遠くなるような繊細な作業を要する作品群に息を飲む思いでした。
それとともに、私自身の好みのような事として、「偽装」する行為への興味があり、クリエイティブの源泉をそこに感じていました。

過去の昆虫の形態がはっきりと分るものは一点だけ、ガラスの小さな箱に入れられて置かれてあり、今回の作品との連続と相違をより分り易く提示されていました。
今回の展示は、その自然の素材を一旦模るという行為は同じなのですが、昆虫のような明確な形態は取らないで、昆虫の基本形は保ちつつ、パーツを球体に連結し、様々な色彩と大きさの球体にして宙吊にしていました。ギャラリーの方の説明では、今回の作品の制作に約1年間掛かったらしい。同じ形態の繰り返しなので、同じ型を使って量産をと、考えてしまいますが、新野さんのこだわりで、全てのパーツは異なるものから模られていて、そこに模ることへの、世界を偽装することへの強い意志がより明確に示されているように感じました。
前回感じた、『二次元と三次元の中間体のような、断片化した現実を捉える、透明人間にペンキを投げかけて、その存在を露にするような、想像上の行為が含まれているように』の志向が、宙吊が故に微妙に動く様が、さらにそこから、三次元からさらなる高次元の形態との中間体の模索へと向かうように感じました。
ただ、同様の手法で、空間次元が拡大していく形態へと向かう時、アーティストの手業の能力の限界が作品の限界を決定してしまう懸念を感じます。