岡村ヒロシ 展「労働からみえるもの」

アーチャンお迎えの帰路、箕面の桜井のギャラリーZoneへ。
20代の頃、一緒に2人展させていただいた岡村ヒロシさんの個展に伺いました。

岡村ヒロシ 展「労働からみえるもの」
http://www.art-gallery-zone.com/index.htm

駅近の商店街の一角をギャラリーにして、地域の活性化を考えておられるギャラリーな感じのところ。商店街の通路とオープンに繋がっている感じが、以前伺ったことのある通天閣の足元の新世界市場ギャラリーに似た印象でしたが、こちらは企画展中心ということでギャラリーらしい雰囲気がありました。

最終日ということで岡村さん在廊されていて、久し振りに再会。

このギャラリーは、先輩のアーティストさんの紹介らしく、展示作品は道路側の展示室が写真ベースの作品で、奥のスペースは2人展の頃のタブローを小さく裁断されたピースで、どちらも旧作ということで、新たな作品は作られなかったようです。

信濃橋画廊5での2人展も、1987年頃ですから、もう30年近くも前のこと、私はフェイドアウトしてしまったけれど、岡村さんはこうして再び異なる方法で制作再開し継続されている。

岡村さんが到達した、二つの部屋での、長い中断を経ての異なる表現を観ていて、いろいろな思いが起きてきました。

岡村さんと2人展した当時に、書いた展覧会での思考のメモを再録します。後日、ここから私は具体美術的な思考を「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」という言葉でまとめました。

今、世界的に再評価されている具体美術の方法ですが、岡村さんが到達した、二つの部屋での異なる表現は、「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」というある意味で分裂している世界(それはとても生産的でもあるが)の修復や新たな世界の提示の可能性があるのではと、感じました。

新たな評価を期待したい。

O君との二人展
1987.06.22〜27 信濃橋画廊

二人展を終えて得られた様々なimageについて

「作品はどの時点で完成とするのか? 何をもって完成とするのか?」

地階で同時期に行われていた『吉原治良賞の6人展』をきっかけとして、「具体」(具体美術協会)というグル−プの活動について少し思った事があります。具体についての知識はわずかであり、それは一つだけ数年前にグル−プのメンバ−の白髪一夫という方の展覧会のTVでの紹介の中で白髪氏の制作風景を見た事だけです。タ−ザンのようにロ−プからぶら下がる作者は絵の具を自分の素足でロ−プの振動によって攪拌を始める……・

どの時点で止めるのだろうかという素朴な興味に対してTVは最後まで映しだした。作者は振動を止め、画面から向かって左隅のキャンバスに足で踏みつけるように何かを描かれた。作者は機械的な振動だけでは絵画としての作品はもう作り得ないと主張するかのように。それらはTVでの制作風景として分かる事であり、停止した結果として残された作品のみからは分からない内容ではある。それを見た印象としては、「具体」の人々の初期のimageの中には偶然性を重視する精神よりもむしろ漠然とした「機械」的な現象を重視する精神、人間の感性を超えたものを生み出すのではないかと期待させる「機械」的な現象の、過去の作品群に対しての新鮮な驚きのようなものがあり、人間の感覚的なヴィジョンを相対化する装置として「機械」を概念化していたのではないだろうか? そこには「機械」との対話は無い。現代の身近な「機械」に対するimageは、人間の感覚を相対化するような装置としてよりはむしろ人間に同化し、順化するような、人間の心の働きとの類似性をこそ感ずる。人間の精神の自由(相対性)を立証するものとしての「機械」のimageから精神の自由を実現していくための「機械」のimageへの移行があると思う。日常的に「機械」との対話があり、それは現代人にとって不可避であり、かつ偶然性(最も人間らしいもの)に対する新たな視線を生む機会でもあると思う。

偶然性の尊重と「機械」との対話を通じて作品の完成というテ−マについて考えていけばいくほど停止する、完成する行為が先送りされていく不安はあります。

O君の友人の若い教師の方との対話から少し、その問題について考えていく道が見えたような気がします。

Q:若い教師の方 ――― 自分はさまざまな素材や手法を使って作品を作っていますが、あなたはは何故銅板画を続けているのですか?

A:―― 銅板画(版画一般の意と思って下さい)は作品に対してク−ルになれる。絵画の場合アナロ−グ的に最初から最後まで作品と付き合う事となる。銅板画の場合、製版はアナロ−グ的であるけれども刷り上がる時は実にデジタル的である(アナロ−グ的に変化していくもののある瞬間の状態を見せてくれるという意味においてであって記号表現としての意味ではない)製版の作業と作品と異なったものとして取り組めるところが好きだから(ずっと続けているのです)

二人展が終わった後でこの対話を思い出してみて、版画の特性として、デジタル性+アナロ−グ性という性質を再認識する事が出来た。さらに付け加えるならば物質性を持っている事、これは重要である。
様々なCGやパソコン等は(デジタル+アナロ−グ)という2要素は備えているが物質性は持っていない。(中にはCG上で描いた立体を工作機械と連動し三次元的に立体として作り出す作家もいるが、過去の機械との結合という感じを受けるのみであり、本質的に新しいものではないと思う)
CGやパソコンはデジタル入力であるからimageは可逆的である。版画の場合は不可逆的であり、製版が進めば原imageは保持しているが、元に帰る事は出来ない。
1987.07.11