伊吹 拓展

午後、此花区に新しく出来たアートギャラリーのthe three konohanaへ家族で伺いました。
ここは2年前にYODギャラリーでお会いしてから、常に刺激的な企画で楽しませてくれる、キュレーターの山中俊広さんが開設されたギャラリー。
いつもアートや現在の問題について考えるきっかけを投げかけて来られるので、今回もとても楽しみにしていました。

Konohana’s Eye #1 伊吹 拓 展「“ただなか” にいること」
【3/15(金)〜5/5(日)】
the three konohana
http://thethree.net/

個展される伊吹拓さんはまったく知らなかった方。ギャラリーのHP等で事前に画像で作品を拝見して、漠然とイメージを自分の中で感じていました。
それは、私がまだアート制作を継続していた20代の頃に、信濃橋画廊で紹介されて一緒に二人展をした岡村洋さん(吉原治良賞グランプリ受賞)通じて詳しく知る事になった具体美術の手法やイメージにつながる世界なのではという予感でした。

村上三郎 展 ー70年代を中心にー
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20111126/art
アートコートギャラリーでの村上三郎展の感想に、岡村洋さんとの二人展の記録も記しています。O君=岡村さん、最近制作活動再開されたらしく、お名前記します。

そこから、作品を見るまでの間に様々な連想をしていました。

HPの画像見ながら、具体美術との関連を想像している頃に、山中さんの企画で阪急メンズ館での展覧会がありました。
そこで拝見した何名かの作品のうち、奈良の郡山HANARARTでも拝見した中島麦さんのタブローから、流動する下塗りとそれを見え隠れさせながら、表層的にオーバーコートしていくような仕上の層との対比がとても印象に残りました。
私の記憶の中に埋もれていた、中学生の時にまったくの偶然、幸運によって見た京都でのゴヤの大回顧展の時に感じた衝撃が蘇りました。
宮廷画家としての華麗な作品群や病を得て後の黒い絵の世界もどちらも思春期の中学生には鮮烈過ぎるものでしたが、でも今でもよく思い出すのは、おそらくゴヤがクライアントの為に見せたと思われる完成画とそれの下塗り状態の絵を並列した作品のこと(でも、もう40年近くも前のことで、それが展覧会の実作であったか、TV番組での解説映像であったか、時間もかなり経ってからなのか、果ては本当にゴヤだったのかすら検証のしようの無い記憶なのであるが)
ゴヤの時代、18世紀の頃ではまだ下塗り(dead colorling)は仕上を鮮やかに活かす為に塗られる技法的なものであり、最終的な仕上の段階でその存在は消し去られるものであったと思われる。しかし、ゴヤ展の際に感じた、そのような下地のdead colorlingが、現在の自分の感覚で捉え直すと、それが無意識世界の視覚化とでも言えるような、自分自身の意識では捕らえきれない混沌とした世界を示しているように感じられ、ゴヤは下地塗りの作業を黙々と行ないながら、それを表層の仕上によって隠し切れない衝動のようなものを、後半生の特に病によって聴覚を失って以降の、黒い絵につながる流れにおいて、はっきり意識していたのではと。
近現代のアートは、ゴヤが意識しつつも断片的にしか具現化し得なかった、そのような無意識世界の流動的な世界の表現は可能か?という問いに対する試みではなかったかと感じる部分がある。
そのような思いを中島麦さんのタブローが促してくれた。
私自身が実物を見た作品に沿って、その事について考えると、最も時間を掛けて丁寧に紐解いていったアーティストはデュシャンではないかと思う。全作品を貫く性的イメージと言葉との関係、偶然性との関係を視覚化した(三つの停止原器)のようなオブジェなど。集大成のような(大ガラス)において、下地と仕上の関係さえも透明なグランドによって剥奪され、フィギュアを支えるはずのグランドが逆にフィギュアによって支えられているような転倒が起きている。運搬途上の事故によって、ガラスに亀裂が入り、しかしデュシャンはそれを受け入れむしろそれをもって完成と感じたのではないかと言えるほどの意味を与えたのも、それがグランドではなく、転倒したものであり、かつ亀裂によって物質性さえ消失して、いわば透明人間のようなものに転化してしまったような。
デュシャンの問い掛けや作品が私達に残した残響はとてつもなく大きいけれど、そこに新たな問いを発したのは、日本の具体美術の方々の試みではなかっただろうかと思っている。
ゴヤの時代の下塗り(dead colorling)的なものが押えきれなくなって近現代のアートにおいて噴出し、それがdeadからliveへと転化し、グランドとフィギュアも転倒した時に、デュシャンのそのさらに先において、ひとつのあり方として、そこからフィギュア自体が消失していくような流れを感じる。
そして、突き当たる、作品はいかにして完成を迎えるのかという課題。
具体美術の方々の作品に感じる衝撃は、噴出した下塗り(dead colorling)的なものが、そのままdeadのままであり続け、逆ベクトル的に何かを支えているような、単純な比喩で例えると、透明人間にペンキを投げつけるような、平板な想像上のあり得ない地平にペンキを投げつけ、存在するかのような感覚を、制作過程に関る人々と共有すること、その瞬間に作品は完成に至るような。
私の具体美術に対する理解は「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」というまわりくどいもの。おそらく、そのような手法は一度、経験すると麻薬のように中毒となり、逃れられなくなってしまうのではと想像する。
伊吹拓さんの作品世界において、下塗り(dead colorling)や仕上の概念はどうなっているのか、作品の完成を如何にして導くのか、そのような興味を持って伺いました。

急な階段を上がり、ギャラリーは2階にありました。山中さん伊吹さんともに居られ挨拶。
窓側の階段上部にニッチのような小さいスペースとギャラリー奥に和室のままの部屋があり、伊吹さんの制作途上の作品を平置きにして、会期中変化を見せていく試みらしい。
以下、感想。

伊吹さんから直接、制作のプロセスをお聞きする。最初に具象物(それが何であるかは作家の秘密である様子)を描く、それ自体は最終的に上から重ねられる絵具によって消えてしまうもので、それ自体に表現したい意味は無いのだそうです。それを描くことで、描くきっかけになっていくらしい。
また、アトリエはとても大きな倉庫のようなスペースらしく、最近は、誰かが傍で作品制作に立ち会ってくれないと、描けないこともあるとか。
その二つのお話は、来る前に考えていた、具体美術的な、下塗り(dead colorling)がdeadのまま、逆ベクトル的に何かを支えているということに繋がるようにも思え、作品が実は表面ではなく、行為の裏側から見ているのではとの空想に繋がりました。
しかし、伊吹さんの絵画から感じるのは、そのようなdead colorlingなdead感ではなく、やはりliveな輝いたものであり、そこにさらなる転倒、もしくはdeadとliveな世界とが捩れた平面が現われているのではと感じました。
そして、立会い者の必要性も、また具体美術的な、仮想のあり得ない平面のようなものの共有の感覚に近いものであるのかもしれないと感じます。しかし、伊吹さんの絵画には、そのような共有を要請しなければ完成困難な部分と同時に、自立した、絵画固有の感触のようなものが、フィギュアなしで成立している部分も混在しており、とても複雑な様相となっていると感じます。
タイトルにある、「ただなかにいること」を絵画のような静止した二次元平面の世界で具現化することには、とてつもない困難が待ち受けているが、挑戦する気概は支持したいし、瑞々しい。静止した二次元平面には大きな制約もあるし限界もありますが、様々な次元の世界を折り畳み重ねることが可能な世界であるし、そこに賭けようとされているのか、注目していきたいですね。
デュシャンの大ガラスのように、もし透明なガラス面もしくは画布に彼が描いたらと空想した。