あえて言っちゃう?「新しい公共」よりも「新しい公共事業」を!

前の大阪市の改革に関わり、現在大阪府特別顧問されている上山信一氏の発言。
行き当たりバッタリの極みではないか?
「かつての公共事業がごんぎつね、猟師が改革派の政治家である。ごんぎつねは実は悪(わる)ではなかった・・・。銃で撃って死なせてから、やっとその善意に気がつきはじめるのではないかと」というくだりは、自分自身の事ではないですか?
我家が通っていた地域の青少年会館の陶芸教室の場も、大阪市の条例廃止により、無くなってしまい、当時会館に来ていた子ども達との自然発生的な交流で制作した日々は忘れられません。彼の言う、社会的弱者は、日々の生活の中で生きるか死ぬかのような厳しい状況にある。
「あえて言っちゃう?」て、社会的弱者救済を提言する人間の発する言葉か?
過去の障害者や高齢者への差別発言もあるし、こんな人間が大阪府の改革に関わっている事は許容できません。

あえて言っちゃう?「新しい公共」よりも「新しい公共事業」を!
http://www.actiblog.com/ueyama/172611
上山信一氏のblogより引用
ここで私はつい、幼少の時期に好きでよく読んだ「ごんぎつね」の話を思い出して
しまう。かつての公共事業がごんぎつね、猟師が改革派の政治家である。ごんぎつね
は実は悪(わる)ではなかった・・・。銃で撃って死なせてから、やっとその善意に気
がつきはじめるのではないかと(いささか大げさだが)。
●今こそ「新しい公共事業」を
とはいえ、従来型の地方での公共事業は確かに問題が多かった。その衰退は歴史の
必然だと思う。だが、それで本当に世の中が丸くおさまるのか、どうも疑問が残る。
つまり、大国である日本は、ジェイコブスが言う「社会の周縁に対する無駄遣い」を
本当にやめてしまっていいのかという素朴な不安、ますます日本人は利己的になり、
ぎすぎすした社会になる、という懸念がある。まったく終息しない「格差」問題や、
都会の狂気がもたらす犯罪や虐待を見ると、どうも気になる。