文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展 in大阪

第二部が始まっているので、午前中寄ってみた。
多くの展示パネルの中に、敬愛する故篠原一男先生の1965年の「白の家」の断面詳細図と木製模型が展示されていた。高度成長期、多くの建築家が時代の要請もあり、メタボリズム的な巨大建築を手掛けていく中で、篠原先生は、日本の伝統建築を分析的に再構成されて、抽象的な空間として提示された。そして晩年に到るまでの設計のプロセスは、これもまた時代の日本回帰の流れとは真逆の、シンボル的な部品のような断片が、自然と結合するような、強烈な住宅を作り続けられた。そのスタート地点に立つような白い家である。
第一部の時の展示も一部残されていて、気になっていた作品を再度注意して見た。京都西陣電話局を第一部で見たときに、少し感想を書いていて

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20060923/art
会場で個々の作品を解説されていた、先生が、最も初期の作品として1921年の京都西陣電話局を取り上げて、何故、電話局のファサードに裸婦のトルソが配置されているのか、自分にはよく分らないが、と話されていました。僕は、それを聴いて、建築のファサードをもう一度見直して見ましたが、その裸婦が両腕をカットしたトルソであることと、顔も極端にデフォルメされて、水平になり体と一体になって独立した存在、シンボル感の薄い表現であることに注目すると、過渡期のモダンデザインのユニークさが、見えてくるのでは無いかと、感じられるから、あまり機能と表現の関係を硬く捉えると、様々なイメージを見落としてしまうのではないかなと、思いますね。設計者の岩本禄さんは、本当は顔自体も消してしまいたかったのでは無いかと感じました。

会場で、再度観てみると、設計者のスケッチに薄く鉛筆でメモが書き込まれていることに気づいて読んでみると、「顔面部は左肩にくっつけて分離せず、レリーフの様に願います」とあり、この分離せず、というところが、やはりこのデザインのポイントだと再認識しました。

文化遺産としてのモダニズム建築
DOCOMOMO100選展 in大阪
http://house.sumai.city.osaka.jp/museum/frame/0_frame.html

docomomojapan公式HP
http://www.docomomojapan.com/index_jp.html