「建築する音 vol.3 ミクロコスモス」

「建築する音 vol.3 ミクロコスモス」
藤本由紀夫 × 建築家 × アートコートギャラリー
http://www.artcourtgallery.com/exhibition.html#mikro

午前中、京都へ療育に行く前に立ち寄りました。少し前に国立国際美術館で開催されていた、藤本由紀夫さんの展覧会http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20070916/art3が印象的だったので、展覧会のタイトルも合わせて「音」のイメージをしながら見に行ったのですが、内容は少し違っていて、システム家具のようなオブジェのような展示台を使った構成でした。昨日、イベントがあったらしく、そこでは違ったものが見られたのかもしれません。
ギャラリーのエントランスに近いスペースには、この展示台に、細い金属のオブジェ(何となく国立国際美術館のエントランスの屋根のフレーム連想し、自分の身体がガリバーのように巨大化したような感じもする)が取り付けられている。
中央の通路状のスペースには、小さなアトリエのような設えがあり、また椅子が小さなオブジェとなって変形され、実用から解き放たれて、シンボル化して、こちらの身体の焦点が定まらないで、スケールが曖昧になっている。
一番奥のスペースには、システム家具のようになった、展示台が中央に収納されてコンパクトに置かれていて、ギャラリーの担当の方にお聞きして、少しずらして中を見せてもらわないと、何が置かれているのかよく分からない様子。ギャラリーのホームページの、組み合わせて置かれている様子の写真がなければ、イメージはよく伝わらない感じでした。この奥のスペースでの展示が、人が座る事を中心に考えた構成であれば、エントランスで巨大化したスケールから徐々に、それを等身大に戻していくようなものであるのか、と空想した。でもそうすると、中間部にあった書棚のような書斎のような小さなコーナーが流れの中で、浮いた感じにも見えてきてしまうが、そのような不連続な混じり方もまた演出の一つであるのだろうかと思ったりした。
台座に関わるさまざまなイメージは、強くイメージを刺激するものである。中立的な存在として作品を支えるまさに台座であるのか、そうではなくて、台座自体が意味を持ち始め、動き始めるのか。
ここでの提示のされ方は、僕には少し説明的すぎるようにも感じられ、表現から透明なものが伝わってこなかったように思う。イベントでの表現がどのようなものであったのか、映像等で見ることができれば、また印象が変わるかもしれない。