草間彌生 永遠の永遠の永遠

お昼前に国立国際美術館へ行き、草間彌生展を家族で観ました。

草間彌生 永遠の永遠の永遠
http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html
国立国際美術館より引用
http://www.asahi.com/kusama/
公式HPより引用

7年前の2005年2月に、京都国立近代美術館での回顧展観ていましたが、今回の展覧会は新作中心でした。会場自体を草間ワールドにディスプレイされて、祝祭的な雰囲気に。会場内も三ヶ所が撮影OKポイントになっていて、たくさんの入場者で賑わっていました。

エントランス周辺の雰囲気。凄い人出。円筒形の風除室も赤い水玉に覆われています。(少し前に家族で参加した大阪カンヴァスのミライカメラのワークショップの、カーチャンが描いた通天閣の未来思い出した

導入部の部屋。赤い部屋に白い水玉。草間さんの写真といくつかのメッセージ(撮影OK)

次に、「愛はとこしえ」のコーナーへ。キャンバスにシルクスクリーンでモノクロの作品が無数に並ぶ。床に黒いグラデーションの巨大なクッションのようなオブジェがたくさん置かれているのですが、触ってはいけない展示。おそらく明らかに座る為や寝転がることを誘導するような無意識レベルへの働きかけを仕掛けつつ、それを拒絶することで、満たされない欲求レベルを上げていくような行為であろうか。
シルクスクリーンの作品は、僕のライフテーマでもある「顔/カオス」的な、ランドスケープと顔的なものの断片が混じり合った世界が描かれていて、共感する。顔の輪郭線が植物の蔓となり、実がなり花が咲き、それがまた人の目になったりと、無限に循環していく様。線そのものは断片化していて、なおかつ両端は丸印で終点が明らかとなっていて、世界の全体像は人間的能力によって捉える事は不可能であるけれど、世界の断片を感覚することによって不安では無い、そのようなイメージを伝えて来る。(国立国際美術館のホールの壁面にある1970年に万博の時に制作されたというミロの「無垢の笑い」が、同じ雰囲気であることに気付く。最晩年に辿り着く世界観は男女・人種問わず共通なんでしょうね)
次に、わが永遠の魂のコーナー。
こちらは、先のシルクスクリーンと同じような世界が描かれているが、アクリル絵具で直接描かれた絵画作品で、色彩も多様に使われ、描かれた時の感情が伝わってくるようである。
次に、「チューリップに愛をこめて永遠に祈る」コーナー。こちらは立体のオブジェで、部屋全体が同じ赤いドットに覆われている。(撮影OK)

次に、「魂の灯」のコーナー。こちらは以前、京都国立近代美術館での展示にあった「水上の蛍」の新しいもの。同様に床に水が張っていて、壁天井の鏡の効果で、無限遠に無数の小さな球体が光ながら連続していく、パラノイアな世界。見学時間が決められていて、あっという間に終了。もう少しゆっくり体験したい作品。
次に、新作ポートレートがあり、大きな一つの顔が様々な草間さん独自のドットや網目、グリッドなど無限増殖のイメージで埋め尽くされている。
最後に、作品解説を兼ねた、草間さんの紹介映像のコーナー。
最近は精神科病院を拠点に制作をされているらしく、でも82歳と思えないそのエネルギーに圧倒される。
B2階に上がると、ホールにかぼちゃのオブジェ(撮影OK)

それからB1階のオブジェをもう一度見ました。
草間さんをアウトサイダーアート的なカテゴリーとしてあまり見ないのは、おそらく三次元と二次元の作品の空間次数の交換性が成立していて、破綻が無いことではないかと感じる。この赤いオブジェと同じイメージの床の平面作品とは違和感がなく、統一されている。平面作品はそれが立体物の投影体であることを、ドットの変形によって、表現している。それがスタッフの感覚の投影であると見るのか、草間さんの感覚であり、指示であるとするのか、分りませんが、統一感へのこだわりは他の作品を貫いていると感じるし、その点において、強固な空間認知があると感じました。