第11回「母上行ってきます」「新撰組!」を見る

浪士組参加の挨拶に多摩と江戸を往還する場面見ると、田園と都市との様相の違いがはっきりとしてくる。近藤勇は、そのような階梯を飛び越える事が困難であった封建的な時代の最後の世代だったんでしょうね。でも多摩の豪農の生活ぶりの方が、どう見ても豊かな感じがするね。
義母の出自を初めて聞かされる場面で、それまでのローアングルの視点が勇の背後で天井に飛び、ゆっくりと降りてくるところは、ステレオタイプな表現だけれど、彼の心の動揺をよく伝えている。そしてそれは認識している自分を俯瞰的に認識するという「メタ認知」的な視点の構図でもあるとも感じる。子供の学習の際に、この「メタ認知」的な視点を持てるかどうかが、ポイントでもあるらしい。認識している自分を認識するのは、結構難しいものでもある。

メタ認知と知的障害の関係について検索すると、研究書もあるようだ。また予約してみよう。娘にはもう少し先の話かもしれないが。多分あっという間に大きくなるだろうし。

「関係のなかで開かれる知的障害児・者の内的世界」田中真理
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4888487669/contents/ref=cm_toc_more/249-4157993-6145938

義母との邂逅の後、裏庭で、家族が揃って、家庭菜園の手入れする場面は、人間関係の修復と、田園と都市の乖離の関係を修復するような二重の意味を与えてくれて、気持ちの良いシーンであった。畑の小ささが、また良い。