小谷廣代・Liisa・猪原秀彦+element「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」展を見る

芝高先生の個展を見てから、少し散歩して、知人の小谷廣代さんと彼女の仲間達のグループ展を見に行きました。途上友人のpurimariさんのアトリエ近く通ったので呼び出して一緒に行きました。

会場:シェ・ドゥーブル
大阪市西区阿波座1-9-12
5月24日〜6月25日(12:00〜24:00)日曜休廊

会場のシェ・ドゥーブルは小谷廣代さんのお店で、フランスの家庭料理を出すカフェ&ギャラリーになっているので、お店自体が作品という感じですね。
展覧会のタイトル「銅を刷る・銅をまとう・銅を叩く」は三人それぞれの作品のジャンルと制作行為の関係のようなものを示している。
銅を刷る=銅版画=小谷廣代
銅をまとう=指輪を中心としたジュエリー=Liisa
銅を叩く=植物を意識した家具とオブジェの中間体=猪原秀彦+element
僕も、銅版画制作が好きで20代のときは特に集中して作っていたので、銅版画を手掛かりとして見ていくと、銅の感触、柔らかさ、腐食する時の変化の感じとか、自分の感覚と馴染んでいくところが好きでしたから、この展覧会のコンセプトは、ストレートに心に響いてきます。銅版画の製版のプロセス(変化していく銅版そのもの)と刷り上げられた版画とは分離しがたく作者のイメージを支配していく。
ジュエリーや家具的なオブジェを作った事は無いけれど、おそらく銅版画の制作のプロセスに似通った作る事の喜び感は共通しているに違いないと想像する。
但し、作るプロセスと表現としての作品の関係をメタな視点として、プレゼンしようと意図した時、どのジャンルでも共通して言えるが、例えば銅版画の場合で考えるならば、刷り上った紙媒体の出来上がった作品として見る人に伝える事は、単なる説明的な図式となってしまい、その図式だけが浮き上がって、見るものをイライラさせてしまうものに陥りがちと思う。この企画のコンセプトが良いなと思うのは、違ったジャンルで同じ銅という素材を使ったコラボレーションとすることで、そのような作為性が意識されてはいるけれど、違うジャンルを互いに補完しつつ、作為性は目立たなくなっていて、別々の作品、作者、テイストでありながら、まとまりのあるものとして、共鳴するところが感じられる。
そして、僕の場合は銅版画を始点として見てしまうきらいはあるけれど、展覧会自体を純粋に見つめてみれば、(人間的感覚の限界として、どれか一つのジャンルを始点として見ざるを得ない部分はあるけれど)、ひとつのジャンルを始点とするメタな視点を形成するのではなく、銅版画(二次元表現)にしても、ジュエリー(二次元と三次元の中間体)にしても、家具的なオブジェ(三次元的な構成)にしても、それぞれが、お互いの構成法を内包していて、見ているうちに、どれが始点(メタな視点)なのか曖昧になっていく。興味深い仕事と感じました。