やわらかな脊椎展クロージングトーク

やわらかな脊椎展クロージングトーク 黒嵜想(映像批評家)、長谷川新
http://cas.or.jp/

無人島にて展以来注目している長谷川新さんキュレーションの展覧会のクロージングトークに行きました。
自分がもし、今20代でネット介して膨大な情報を誰もが入手出来る環境でアート制作をしていたら、どうだったろうみたいな妄想しつつ、それも功罪あるよなと感じるような内容含みのトークと感じました。
オープニングトークでも感じましたが、長谷川さんの設定されたテーマのうち、今回の二人のアーティストに共通する、集団制作もしくはその活動のようなものへの評価が垣間見える。
現在はネット介して集まらなくてもよくなった事が大きいという指摘は、誰もが実感している。
話題はキュレーター論にも拡がった。キュレーターに対する若いアーティストからの(どちらかと言えばキュレーターから選ばれない、評価されなかった側の)反発みたいなものは、ネット時代故にダイレクトにやり取りされてしまうようだ。
私も若いアーティストからキュレーターに対するかなり強烈な批判を聞かされた事があり、少し面食らった経験でしたが、その辺りの現在の事情も、成る程なと垣間見えるようでした。
黒嵜想さんの、この展覧会に対しての客観的なかつ好意的な評価に同感ですが、メタ作者問題という視点は、少し時間掛けて考えたいですね。
今回の出展アーティストで宗教家になられた大寺さんが、超越が無いと描けない状態からの、メタ作者としての神の世界の獲得によるクリエイションと、もう一人の若い乙うたろうさんの、自分で自分を交換可能なものにしている、即ちメタ作者レベルをまだ持ち得ていない状態という対比も考えさせられる。
メタレベルの獲得によりクリエイションな状態にという指摘には、個人的にはあまり共感しかねるところがありますね。
キュレーターは何を作っているの?という親しい関係故と思いますがストレートな問いに丁寧に答える長谷川さん。メタ作者問題についての黒嵜さんの対比のところで、長谷川さんがキュレーターとしての、メタ作者性を引き受ける的な発言があり、私は少なからず驚いた。
質疑時間にその事についてもう少し詳しく聞きたいと。
この問題系はでも、不可避なんだろう。人間故に。
刺激的なトークでした、感謝。