川端嘉人展

とても暑い一日でした。
川端さんとは個人的には多分ほとんど面識はありませんが、20数年前の1986年に、信濃橋画廊のサマーフェスティバルという企画展の4名に僕も選ばれて出品した事があり、川端さんは後期に出展されていました。
僕はその後バブル経済の荒波の中、仕事中心の生活が長く続いてしまい、結果的にピュアアートからは遠のいてしまいましたが、他の方達は現在も多様な活動をされているようです。
僕自身は、アーチャンが生まれていろいろと過去を振り返る時間を持てた頃に、過去のファイルなど見ていて、すっかり忘れていたそのような活動の事を思い出し、アーチャンへのアートセラピー的な関わりをしていく中で、ピュアアートやっていて、その経験がいろいろな困難な課題に直面した時に、多様な考え、解決策があるよと、僕を励ましてくれるように今は感じている。

川端さんは今日は不在で、ギャラリーの方に聞くと10年ぶりの個展との事。
僕の記憶の中にある川端さんの作品は、兵庫県立近代美術館(震災以降は兵庫県立美術館王子分館)でのアートナウの時の、巨大な箱の中にドライアイスが詰められていて、それが会期中にゆっくりと溶けていくというハードなもの。確か鉄板で出来た箱の表面は凍って霜が付いていたと記憶する。(あんな強烈な作品させてくれる美術館今あるだろうか?)
今日のギャラリーの作品はどんなものだろうと期待して行ったのですが、こちらも相当強烈なものでした。僕の記憶の中の凍った鉄の箱の場合は、その周りを見るものがグルグルと廻るという、凍った鉄の箱が強いフィギュアとして現われて来ますが、今日のギャラリーの作品は、見るものを包み込むように、グランド化していて、言われなければこのギャラリーが、こんな感じのブロック壁で出来ていると思って、展示やってないのか?と帰ってしまうかもしれないほど、それは素っ気無いものでした。(実際、僕もドア開けてから、しばらくキョロキョロ見渡して、間違えたと思って、一度外に出て、他の部屋を探しました。たまたまギャラリーの人が電話掛けていて、すぐに聞くわけにもいかないし、おかしいなと)
意味を剥ぎ取られた、フィギュアなオブジェを見るときに、これは個人的なイメージですが、それが人体よりも大きい場合、それを人体とランドスケープの中間体のように感じてしまう。そしてそれはメタ化の無限循環へと誘導する場合があるように感じる。見る側にとってはある意味息苦しい思考への誘導であり、作家の狙いでもあるだろう。
現代アートが社会に受け入れられ易くなってきた現在、そのような息苦しい思考への誘導は作家によって、意識されつつも、それぞれの方法によって表面化は避けているように感じる。むしろその避け方自体がメイン化しているような印象すら受ける。
メタ化の無限循環を止める、様々な多様な考えがあると思いますが、例えば最近多く見られる廃棄物系のアートもその一つではないかと感じている。廃棄された場所であったり、ひとつのアイテムに焦点を絞って、ゴミを採集することで、仮留めの安定化をもたらし、メタ化の無限循環をとりあえず止めて、思考を活性化するような。
今日の川端さんの作品は、フィギュアではなく、背景と退いていて、メタ化の無限循環の動きは静かに止まっているように感じる。でもまったくグランド化しているという訳でもなく、微妙に自立した存在として、三幅対のように分離していて、見方によってはフィギュアとも受け取れる瞬間があって、こちらはその揺れの中で安定と不安とが交互に生じてくる、新しい興味深い試みと感じました。

川端嘉人展
■会期 2010年7月17日(土)〜8月7日(土) 13:00-19:00 月・火・水休み
http://cas.or.jp/2010/KAWABATA/index.html
特定非営利活動法人キャズ(CAS)より引用

川端嘉人展
アーティストトーク:7月31日(土)16:00〜
ustreamの録画で見ることができますね。参加したかったのですが、土曜日京都で療育だったので、残念に思っていましたが、キュレーターの永草次郎氏(美術批評(帝塚山学院大学教授))との対談をネット通じて聞けて、とても良い企画と思います。一部、どうも僕のblog日記と思うけれど、読まれたらしく紹介されて、赤面。
http://www.ustream.tv/channel/npocas
特定非営利活動法人キャズ(CAS)より引用