武田晋一「Jumelage Accumulé」展

案内状を頂いたので、知人の小谷廣代さんの「シェ・ドゥーブル」へ行き、武田晋一「Jumelage Accumulé」展を見てきました。
少し前に同じコンセプトでドローイング中心の個展されたらしく、今回はそこで展示されたエレメントをいったん解体して、もう一度組み立てなおして、立体として展示するというユニークな試みらしい。
小谷さんの説明では、武田さんは立体作家さんらしく、立体では現実世界の中に置かれることによる表現の限界が、ドローイングでは、描かれる世界であることによって、制限が解かれて無限となる、そのようなイメージをドローイングと立体に対して持っているらしい。
ここで僕がユニークだなと思ったのは、最初のドローイング中心の個展のエレメントを解体して、今回の展覧会で再構成しているというところ。それはちょうど、最近のトレンドのような、ある意味ゴミアート、廃品利用のアートのコンセプトに近く、そのものの依ってきた由来をいったん消し去って、そのものを規定する概念の、無限循環への落ち込みを、仮留めすることによって安定化させ、思考を活性化するような技法と通じるところがあるし、なおかつ、その前提自体を自身の作品世界として作りあげてから、それをメタ化するかのように解体しているところが興味深い。
直接は聞けなかったので、よく分からないけれど、再構成されたエレメントとして、ドローイング自体が物質化されて、解体されて再構成されていると、さらにコンセプトは明確になっていたのではないだろうかと空想する。
物理的な限界を超えて自由に無限に描きうるはずのドローイングを解体して、物質化して、それを立体として組み立てるようなイメージ。
構成としてのシンメトリーへの偏愛は、個人的に親近感を覚える。おそらくツインの構成は、自然と眼球運動の左右交互運動を生み、ある意味でEMDR的な、無意識レベルの再構成、トラウマの解消的な、セラピー効果の原初を感じさせるものとなるのではないか?
作者は常時それを、じっと見詰めて自己セラピーを繰り返しているのかもしれないと空想する。
ただ積み上げられて、とても不安定な、実際に落ちて壊れている部分も含めて、弱い構成は、私達の心の有り様でもあるだろう。

きのうのきのこ
http://tadkea.exblog.jp/
武田晋一さんのblogより