梅田恭子 銅版画集「ツブノヒトツヒトツ」

インフルエンザ休校も4日目となりアーチャンもちょっと限界の感じなので、午後、気分転換で家族で近くまで出掛けました。地下鉄なんば駅で降りて天音堂へ。
去年、一昨年と毎年天音堂さんでの個展は拝見。今までと同様な感じの銅板画と今回はガラス絵が数点展示されていました。
銅板画の詩画集「ツブノヒトツヒトツ」は、全12章のうち、2章ずつ毎月展示されていくという息の長い展覧会。以前御伺いした時に、小さなピースをプレゼントしていただきましたが、それらひとつひとつを「ツブ」と捉えているそうだ。過去拝見した時にも、感じましたが、意識の及ばない、自分では捉え様の無い無意識の世界を表現の中にいかに取り込んでいくか、それをとても意識的に制作しているという印象が、より強まっている、そんなイメージがありました。
このところ、家で飼っている金魚が産卵して、うまく孵化したので、大きな虫眼鏡を持って、ずっと飽きずに小さな金魚の稚魚を見つめていて、その不思議な美しい光景に、子供の頃ずっと熱帯魚の飼育に夢中になっていたこと思い出し、その頃のイメージと目の前の光景とが重なっていて、そしてたまたま梅田さんの展覧会でも、小さな微小な部分を読み取る為に、虫眼鏡が置かれていて、それで覗いていると、梅田さんの描いている世界と、ついさっきまで見ていた、水槽の中の濁った水と金魚の稚魚の透明な体がぴくぴく動く様と重なり、いつまでも見つづけていたい、そんな感触を得ました。
作者の描き、また書かれている詩の世界は、やや難解というか、読んだ人、見た人の印象がそれぞれその人の感じ方によって、幅がとても広がってしまうような表現になっていますが、それを支えているスキルの部分は、とても明快で、表現への関わり様は、難解さとは真逆の懇切丁寧さがありますね。虫眼鏡の利用はある意味懇切丁寧さを示していますが、でも意外なほど、作者の意識レベルをポンと超えさせる力があるように感じます。制作している時には見えてこないものが、明快に立ち表れてくる。
と、ここまで真面目に作品を見つめていた僕。カーチャンは机に座り木箱に納められた、詩画集を一枚一枚丁寧に没頭して見ています。
見終わってからカーチャン、天音堂のオーナーさんの山口さんに、「この作家さんの絵は梅田恭子さんの作風に似てますね」
オーナーさん「???・・・」
カーチャン「このツブノヒトシさんの作品て梅田さんの作品にそっくりでしょ、ほら」
僕「同じ人や」
カーチャン「え、ツブノヒトシて書いてある」
僕「それはツブノヒトツヒトツて詩画集のタイトルや」
早々に退散。

梅田恭子 銅版画集「ツブノヒトツヒトツ」
全12章展 -第3回- 5章『シビレガキルル』・6章『オリオン』
http://amanedo.exblog.jp/
天音堂ギャラリーより引用

梅田恭子さんのホームページ
http://umedakyoko.com/