アートカレイドスコープ

春分の日、墓参を済ませてから午後、アートカレイドスコープ2007の最終日らしいので、淀屋橋周辺を廻ってみた。6時までの会期で、着いたのが4時半過ぎていて、バタバタと廻る。大正末から昭和初期の、海外で言えばアール・デコ様式の時代の建築が選ばれている。この何年間、仕事で1930年代の文化財のコンバージョンのお手伝いをしていたので、時代の雰囲気としての共通したところ、異なっているところ、後に手を入れたところなども気になりつつアート作品を見ていました。明治期の建築に較べて、やはり時代の自由な空気が感じられますし、現代への過渡期の様式と感じるところもありますから、アール・デコの時代の特徴と僕自身も感じる、無意識の領域を鉱物質なものとの対称性をもったものとしてとらえているような感覚と、日本人特有の細やかさの混じり合った、不思議な独特の空間が出来ていますね。
アートカレイドスコープのパンフレットには建物の名称と場所は出ていますが、建設年代や設計者、施工者などのベーシックなデーターの表示が無く、都市との関連をうたうのであれば、その辺りは押えておいて欲しいですね。

船場ビルディング
http://www.aiyo.jp/senba/index.html


大正14年(1925年)竣工
トラックや荷馬車を引き入れる為に中庭を設けたそうです。

小澤さよ子さんの屋上に設置された、フィギュアの群れによるインスタレーション

アーチャンはカニさんが好きなので、カニさんと思って喜んでいました。
この屋上のお稲荷さんの光景も日本ではよく見かけますが、面白いものですね。以前、ある超高層ビルの調査でお客さんは入れないところ見た時、お稲荷さんが設けてあって、不思議なイメージだったのを思い出しました。
顔のない、ヒョウ柄カニのようなオブジェは、顔が無い事によって、無意識の領域に近いものを感じさせ、舞台になっているこの建物の屋上の無表情な感じと相まって、面白い。アール・デコもまた、現代の表現が顔を失っていったプロセスの始まりのようにも感じるし、表現として、とても分析的で、造型的な派手さは無いけれど、積み上げていける世界を感じさせてくれました。

一緒に狭いエレベーターに乗った親切な方がケーブルウエスhttp://www.cablewest.co.jp/osakacentral/com/program.html?id=6008というローカルのケーブルTVの放送局の方で、作品を見ている私達一家も作品と一緒に写されて、作品紹介の記録映像として、利用したいのでと許諾求めてこられました。もちろんOKしました。そのケーブルTVは僕の地域には無いので見れませんが、現代美術センターへ展覧会の記録としても納められるらしく、5月過ぎに現代美術センターで、見れるそうです。陽気な妻子と暗めの目つきの悪い男が写っていたら、それは僕達と思ってください。

芝川ビル


昭和2年(1927年)竣工

山崎龍一さんの着色石膏のフィギュア
http://www18.ocn.ne.jp/~ryoichi/
これはアーチャンとても気に入って、部屋の隅や階段の影に見つけては喜んで教えてくれました。

ちょっとした空間の隙間に馴染んで置かれていて、サイズを小さくしている効果によって、個別の空間との関係と同時に、大きさの恒常性とでも言えるものに付託した表現によって、普遍的な空間との関係性も示し得ている表現。キャラクターの表情に、他の作家達からの影響みたいなものが、ストレートに出ている気もするけれど、大きさの感覚においてオリジナルな表現となっている。

石塚沙矢香さんのカットした布のインスタレーション作品

和服の着物の布地と思われるものを細かく切り刻んで、撒いてある。元々の着物の形を連想させるところ人間臭く、それとともに、ノンヒューマン環境論的な、物質的なものへの傾斜の感じが混じり合い、中間的で面白いですね。天井から吊り下げられた表現は、落ちていくのか上昇するのか、見るものの想像力に付託されていて、作家の手のレベルにおいて未完成とされている。

武内貴子さんの白い布と粉によるインスタレーション作品

部屋の照明を落として、シンボリックな、儀式的なものを暗示する、何となく洗脳系の表現は、僕はあまり好きではないけれど、ぎりぎりのところで、布に対して、造型的な、ポーラスな表現が付け加えられていて、洗脳的な表現ではない、何かを示し得ている感じがしました。

綿業会館
http://www.mengyo-club.or.jp/


昭和6年(1931年)竣工
設計は渡辺節事務所ですが、当時スタッフだった村野藤吾さんが、チーフとしてデザインされたそうです。

山口良臣さんの街灯のようなオブジェ

最終日の為か点灯されておらず、夜の雰囲気がどんな感じなのか知りたいですね。帽子を照明のフードにしたデザイン。村野藤吾さんは時々、子供のおもちゃを照明器具にデザイン転用したりと大胆なことをされていますが、その事を少し意識されたのでしょうか?
作品のディティールは僕的には許容できないけれど、要素のダイレクトな連結は、無意識的な世界を感じさせてくれる。
検索してみたら、街灯ではなく、スピーカーを仕込んだ音のアートらしい。でも僕の見たときには何も鳴っていませんでした。