poehum展

西成区の我家のすぐ近く、歩いて5分くらいのところの元おかき屋さんの工場跡の「山本製菓」というアートスペースで、以前からアーチャンがワークショップなどでお世話になっている船川翔司さんはじめ5名のアーティストさんの企画展があり、近いという事もあり、何度も伺いました。

poehum展
http://poehum.tk/

我家のすぐ近くにこんなアートスペースができて、本当に嬉しいですね。
それぞれの作品についてアテンドして頂いて、じっくり観る事ができたので、理解も深まりましたし、またそれぞれの方との不思議な縁のようなものも感じました。
以下、それぞれのアーティストさんの作品の感想を記します。

松田壯統さん&池田昇太郎さんの作品(もしくは展覧会に対する感想)


松田さんと面識は有りませんでしたが、poehum展と並行して、京都で開催されている企画展で、増本泰斗さんと一緒にされているとの事で(少し前にアートスペースジューソーで知り合い、対談させていただいた)縁を感じます。
展示されている作品は二つのコーナーに分かれていました。最初に伺った際に、船川さんにアテンドしていただいて、奥にある映像作品だけを観ていたので、二つあるとは分りませんでしたが、後で来られた松田さんが外から別アプローチする別室の花売りをテーマにした作品を案内していただいて、両方観る事ができました。
二つあると聞いてから観るのと、私のように時間差おいてから、次の作品を観るのとでは、違った印象になると感じます。
それは私たちの普段の暮らしにも常にある、偶然の作用でもあるし、出会いの縁のようなものかもしれません。
また船川さんの映像作品のアテンドも「詩人が言葉を発するまでの映像で、結局言葉は発しないままで終る」的な内容だったので、約8分ほどらしい映像も揺れる詩人の横顔の同じものが続いたので、最後まで観ませんでした。(後日、再訪した際に、そこに写っている詩人の池田さんがアテンドしてくださって、最後まで観たのですが、何かを言葉のようなものを吐き出すような、ギクシャクとしたスローモーションのように、コマ送りのようになって、意味は分りませんが、言語と音の中間体のようなものが映し出されました)
このまったく異なるとも感じるアテンドは私はどちらも良いなと思います。発した言葉を言語未満と感じた船川さんと、発した池田さん本人と、そして撮影して、スローモーション的な映像に破壊して加工した松田さん、それぞれ同じものを観ながら、体験しながら、少しずつズレていく感じ。そしてそれを、さらに少し引いたメタな視点で見つめている私と。
その関係性は、この「poehum展」に参加されたアーティスト相互の関係性でもあるだろうし、彼等がリサーチした天下茶屋や西成の地域との関係性でもあるだろうし、その成果を観る為に、ここに訪れる私を含むオーディエンスとの新たな関係性でもあるだろう。
新に刻まれるそのような関係性そのものを、池田さんのテキストが編んでいく。オーディエンスの介入もフリーな方法によって、追記されていく。読む行為によって生じる感触と同時にあるメタな視点、書く行為による没入がある。

少しpoehumのアーティストの皆さんとの関係性について書いておこう。

船川さんからお誘い受けた時、最近私がイメージしていた「触覚(皮膚感覚)/言語」に新たな知見や刺激を与えてもらえる機会になると良いなと、まったく内容知らない時点で空想していたのですが、様々に重なる部分があり、これも不思議な縁だなと感じます。
20代でアート制作からはフェードアウトした私が再度アートについて考え始めたのは、娘のアーチャンがprader-willi症候群という染色体疾患による難病を持って生まれてきて、体と知的なハンディがあり、医療的な治療法が現在もまだ未開発な状況で、自分にできることとしての、アートセラピーに一歩踏み出してきたのですが、「触覚(皮膚感覚)/言語」のイメージもその延長上にあると考えています。
観察者中心座標系は左脳側にあるのではとする研究があり、実際に発達障害のある人の9割は右脳優位であるらしく(定型発達の人はその逆にほとんどの人は左脳優位)、この子たちを見ていますと、観察者中心座標系の弱さ故か、今ここ的感覚が薄いように感じますし、それゆえの不安を抱えているように思います。言語もまた左脳優位であり、言語的なコミュニケーションの弱さも抱えている。
自閉症の動物学者のテンプル・グラディンさん考案のハグマシーンは、牛の屠殺場で屠殺直前の牛の興奮を抑える(ボディに圧を掛けて包むような)マシーンを自分にも試してみて効果があったので、人間用に様々開発されてきたもの。おそらく、ボディに圧を掛ける事で、今ここ的感覚の弱さを補っているのではと推測する。
アーチャンがまだ小さかった頃に知ったハグマシーンのこと、観察者中心座標系の弱さとそれへのセラピー的な介入は、常に意識にあり、アートを観る時のコアなベンチマークともなっていました。
最近、仕事で耐震工法の一般の人向けの振動モデルを制作しました。その際に振動制御デザインしてくれたアーティストの米子匡司さんが振動をマッサージ機のモーター使って実現した際に、本来皮膚との接触において、快適であるマッサージ機の振動が、地震の揺れとして、モデルに視覚的現象として変換されるととても不気味な揺れとして感じられるという、ことを経験して、皮膚と振動モデル周辺に関心を持ちました。
そして、皮膚の感覚は「大きさに依存しない」のでは、観察者中心座標系もまた点のようなもので同様では、そしてここからジャンプしての、言語もまた「大きさに依存しない」からと強引に繋げて考え始めました。
それで、「皮膚 言語」とネットで検索したところ、資生堂の研究者さんが、言語は皮膚感覚から生じたのではとする仮設述べておられるのを見つけ、「触覚(皮膚感覚)/言語」を意識し始めた次第。
それを正月恒例の地元の天神ノ森天満宮書初めで書いたものを偶然初詣に来られていたpoehumのアーティストの皆さんに見つけられてしまったという顛末。
不思議な縁は続く。
実にタイムリーに、科学雑誌のNewton3月号で「皮膚感覚のしくみ」が特集されました。
http://www.newtonpress.co.jp/newton.html
「触覚(皮膚感覚)/言語」について考えながら、どちらも大きさに依存しない世界と直観的に私は書いていたのですが、自分で書きながら、でも皮膚感覚で物の形をなぞったりできるので、矛盾するよな、と思ってもいました。
そのことに何らかのエビデンス(根拠)無いかと思っていましたが、Newtonの皮膚感覚のしくみ特集に、ヒントが書かれていました。
最新の研究で、皮膚のセンサーには大きく分けて2種類あるらしく、一つは圧力に反応する「メルケル細胞」と、もう一つは振動に反応する「マイスナー小体」「パチニ小体」というのがあるらしい。
圧力に反応する「メルケル細胞」は、物の形(縁や角)や、表面のでこぼこを感じる時に働くらしい。
振動に反応する「マイスナー小体」「パチニ小体」は、皮膚にわずかに生じている振動によって、小体が揺れて反応するらしく、すべるような質感や、くすぐったい感じが生じているという。
ということは、皮膚感覚は大きさの世界に依存するセンサーとしないセンサーとが分離しながら並置されていて、「圧力/振動」の、スラッシュの関係にあるという事だと推測しました。
私が感じていたのは、そのうちの振動系のセンサーに偏った感覚でしょうが、しかし、センサー自体は異なるものとして、あるようですから、直感的理解が間違っていた訳でもないようで、理解が深まりました。
振動はやはり生命あるものの根源にあるものと感じますし、そこから言語的なものが生じるのではと。
松田さんの映像作品で揺れながら言葉を搾り出そうとする詩人の池田さんのイメージのこと、文章化しようとしていて、重要な手懸りを得たように思います。
そのイメージと、船川さんの過去の作品に感じていた、ギュスターブ・モローの絵画の、サロメ預言者の首を求めて、掲げ恍惚とする場面とイメージが重なってきました。
近現代人の思考方法にある、いったん首を切り死体とし固定化しなければ対話が始まらないという、可能性とその限界を示すような。
同時に展示されていた、花売りの作品を、時間差を空けて拝見した時に、上記の限界を超えるようなイメージを私は漠然と感じていました。

切花のような、これもある意味で首を切られた固定化した死体と同義でもあるけれど、生物的な強度によって、まだ瑞々しく生きている様を観る(多肉植物に至っては、切られた部分から根が生え再生する)
飛田の花売りのおばあさんの魂が幽体離脱して、花にシンボル化してくるような印象がある。(本当は松田さんは天下茶屋のここまで飛田のおばあさんに売りに来て欲しかったそうな)
朽ちていく御欠工場に集うアーティスト達の魂も幽体離脱してここに在る。それらもまた大きさや距離に依存することなく存在する、私たちの心の有り様と感じる。

船川翔司さんの作品



この展覧会を企画された船川翔司さんと知り合ったのは、名村造船所跡でのヨルムさんの壁画「WALL PAINTING PROJECT 03」のワークショップに家族で参加した際、サポートスタッフされていて、いろいろとお世話になったことからでした(お仲間のコタケマンさんも居られました)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121124/workshop
このワークショップは、レクチャーとお試しの回と、実施と、そして完成披露と3回に渡り、じっくり時間掛けて行なわれましたし、ヨルムさんとの後日の交流も2度もあり記憶に残る出来事でした。
船川さんにはその後も何度もワークショップ等でお世話になる機会がありましたし、いつかお礼をと思っていましたがなかなか機会が今までありませんでした。
ブログにも書いていますが、この時から、家族で一緒に何かする時のチーム名をartanartにしていました(アーチャンアート/アートアンアート(アートがアート))
ブログのカテゴリー用に、ほんとはarchanartかarthanartとすべきを間違えてartanartとして、間違いに気付いて、直そうと思ったらart an artと分割して読めて、これはこれで良いやと思いそのままにして使っています。

船川さんとの交流は、その後、新世界市場やツムテンカクに続きました。
ツムテンカク2013」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130526/event
この時、初めて船川さんの作品も拝見しています。
その時私はブログに下記のような感想を書いていました。
ツムテンカク2013 セルフ祭「船川翔司」展
展示コンセプトは少し前に亡くなった飼い犬のことを想起した時のイメージ世界らしい。(アーチャンが名村造船所跡の壁画に霊柩車を描いたこと、壁画制作に関った皆さんのなかでちょっと衝撃でもあったらしく、死を巡る思いで、繋がっているのかもしれません)
確かに非決定論的な流動的な、生的なイメージを描くよりも、死の確定した静的な世界を描く事の方が焦点は、ずれないのかもしれない。
船川さんの亡くなった飼い犬のイメージに対する言葉を手掛かりに、空想する。
近代絵画のギュスターブ・モローが描く預言者の首を掲げるサロメの図を想起した。これは、近現代人の、生を停止しなければ対話が始まらない様相を象徴的に描いているではと感じている。預言者の生首の位置は高く掲げられていることも印象的だ。
それに対して、より現代に近いデュシャンのような、固定化したレディメイドな製品や、ひもを使った停止原器のような、外観的には静的な世界に近いように見えるアートでありながら、性的な世界や動的なイメージに深く関りつづける作品は、より身近な位置に置かれ、机や床や壁にフィットして可触的である。
船川さんの作品は、人工的に起された風によって上昇していくかのような宙吊の回転体(見上げる象徴的な死の世界であるのか)と、イヤホンから聞えるかすかなラジオの音と街の騒音とが入り混じり聞える、観る人と接続し生の世界と可触するもの(生や性的な世界や動的なイメージの世界であるのか)とが混在している。』
poehnm展の船川さんの作品は、この可触的部分が暗闇の中で拡大し純化しているようで、とても印象的でした。

寺岡海さんの作品


寺岡海さんのクローズアイドローイングは、アーチャン介しての子どもの遊び場作りやワークショップで同様の試みをしていましたので、共感する作品です。
あそパー(あそぼパークプロジェクト)さんからの依頼で、子どもたちのお絵描きワークショップのお手伝いをした際、これは単純に大きなターフ(布)に自由に絵を描くという従来からされていたものを、見守るだけのものでしたが、寒い日でかつ曇っていて、盛り上がりませんでした。そのうち急に強い日差しがきて、私の影がクリアーに布に出たので、そこに来ていた詩人の上田假奈代さんに、ラインなぞってと頼み、できたボディラインが面白くて、子供たちもいろんなポーズ取って遊び始めました。
ブログの記録。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121208/workshop
次のワークショップの時は、これをやろうと思ったのですが、でも強い日差しが出ない場合の確率もあるし、どうしようと思い、飛躍してボディラインや顔のラインを柔らかい針金でかたどり、それを布に投げて、スプレーすれば、針金のラインが白く抜けて、それを集積してみることに。
同時に、今池子供の家というアーチャンがお世話になっていた、施設のリニューアル計画も依頼受けてたので、そのインテリアを、子供たちのフェースラインで埋めてみようと。
ブログ記録。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130214/artanart
その実践の記録。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130224/artanart

子供たちの目の安全のために、プチプチシートでマスク作ったことがむしろ子ども達には受けて、口コミで、「針金我慢したら、プチプチシート貰えるで」(笑)で、広まり、たくさんの子ども達の顔のラインを取りました。子供たちは目をつむるか、もしくは半透明なプチプチシート越しの光景と、針金で顔をなぞられる、不思議な体験が楽しかったようです。

施設が移転することになったり、担当者さん異動などで、リニューアルは未遂に終りましたが、作ったターフは今もあそパーの時に、日除けなどに使われています。
リニューアルのアイデアの最初の頃、施設でのワークショップ依頼が有り、その時は、自由にランダムに線を描いてもらい、それを参加者でシャッフルして、別の人が、気に入ったラインをそこから一筆書き的に選び出し、その線の集積をインテリアに使おうとか、いろいろ考えていました。
でも、やはり、顔のラインが、その場に居る人たちの固有性をシンプルに切り出すし、その場から取り出せる固有の意味がそこを訪れた人のリサーチ力に左右される部分もありますから、むしろ集った人の固有性の集積がオートマチックに切り出せる方が、自然に湧きあがるように感じていました。

ボディラインの着想は、私の銅版画の先生の芝高康造さんの作品(ボッテチェリの春のビーナスの、手足や顔などのラインを抽出し、銅版画のビュランという鋭い道具で線を切り出し集積するという作品からもインスパイアされました。
その記録。芝高康造展「死者の海」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20111210/art
画廊の画像がとても美しい。
寺岡さんの作品も、目をつむってのボディラインや顔のドローイングとその集積ということで、とてもシンパシィ感じますね。
顔や人体のボディラインは、単なるイメージではなく、既に何割かは、シンボリックな言語的性格を帯びていると思いますし、それ故に文字と同様に、大きさの恒常性のようなものがあると感じています。
ボディライン=皮膚のアウトラインの抽出が、言語と結び付くような瞬間のように感じます。

神田旭莉さんの作品


神田さんの空からハルカスの文字が降る作品も印象的でした。
今日、ギャラリーで神田さんにお話させて頂きましたが、それはハルカスの設計者さんのことなど。
ハルカスの外観デザイン監修は、中之島国立国際美術館の設計者でもあるアメリカのシーザー・ペリさんです。
バブル期、勤めていた事務所もそれなりに潤い、社費でニューヨークとシカゴ周辺への団体旅行に出してくれました。そのツアーの目玉が、イエール大学の教授されていたシーザー・ペリさんの事務所訪問でした。とても暖かな方で、その作品もとても好感が持てました。
ニューヨークのバッテリーパークにあるワールドファイナンシャルビル群もそのひとつ。
ここは例の9.11テロですぐ近くのWTCに飛行機が撃墜して悲惨な状況になった場所ですが、幸いにもシーザーペリさん設計のワールドファイナンシャルビル群は、爆風による被害で相当破損はしましたが、補修により、現在も使われているようです。
撃墜されたWTCは、近代建築の古いモデルというか、1階から最上階まで、同じ形態で要するに内部機能だけ追及しての究極の箱型建築でした。
対して、シーザーペリさんの建築は、低層部は周囲の街路に即してなじませ、高層部は、遠景の街路からのビューを意識しての構成と、分散化し、複雑な群となっています。
狙われ崩壊したWTCと、ランドスケープに可能な限り順化し、分散した造形で生き延びたビルは、何かとても象徴的な意味を感じますね。
ハルカスも、アメリカのスケールやボリュームからすると、小さいものですが、同様な手法で、低層部と高層部とは、軸を変えてデザインされています。
山本製菓の周辺の街路とハルカス高層部の配列とは馴染んでおり、ラインは並行になっています。
都市のランドスケープとの対話重視される、シザーペリさんの手法は、それゆえに、気付かれにくいデザインでもありますが、学びたいところです。
少し前に、アートスペースジューソーさんで辺口芳典さんの個展があり、その展覧会自体が参加者による周辺の街をリサーチしての写真作品と、辺口さんが選んだ参加者の写真とのミックスというユニークなもので、家族で参加した時も、ハルカスを上記のような思いで捉えていました(展示で選んだり、辺口さんが選んだのは、ハルカスは無く、街なかのアーチャンの姿でしたが)
その記録。
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130926/workshop

ハルカスを撮った画像はありませんが、民家と民家に挟まれて、民家より小さく見えるハルカスとか、とにかく変てこに見えるハルカスを撮っていました。

確かに、あれだけ大きいと、日本の小さな街では、いくら街路に沿わせても違和感ありますし、神田さんの抵抗感のようなものは、私も街歩きしてみると、いくら設計者への敬意を感じていても、生活者としては、上記のように抵抗感じて、変てこに撮ってやろうという気持ちになることは否定できません。

神田さんから、あまり家族間で会話は無い方だけれど、でも仲良し家族だったから、仲良し即ち会話がある的なモードに抵抗があって、そこから膨大な流れて来るハルカスでの会話を切り取る作業へと転化されたとのお話に対して、私の場合は、父がシベリア抑留者で、20代の数年をマイナス40度にもなるような極限環境で生き延び、指の一部を凍傷で失って、今から見れば明らかなPTSDで、社会性を失い、ほぼ家族との会話がゼロだった事への、不気味さや嫌悪の感情があり、でも、娘がハンディキャップ持って生まれて、言語的コミュニケーションの困難さ抱えている様を見ていると、コミュニケーションの不全への逆ベクトルの情愛を感じていて、神田さんの作品も、単純な、否定形ではないところへ、シンパシー感じます。