杉山卓朗「Loop」展

このはな区のアートスペース巡り。
最初にASYL(元梅香堂)へ行き、杉山卓朗「Loop」展を観ました。

杉山卓朗「Loop」展
http://takuro-sugiyama.com/
杉山さんのwebより引用

ASYLの展覧会は最初に拝見した前谷康太郎&ボン靖二、次の下道さんの「いつか開封される封筒」展といい、インパクト有り過ぎ。
今日の杉山卓朗さんの作品もクオリティ高く、素晴らしいものでした。
三つの循環をテーマにした作品群。
モノトーンの折紙の貫通体が浮遊するような平面作品は、キャプションと杉山さんの説明では、六角形が基本の繰り返しパターンとなっていて、平面充填形として無限に繋げていけるものとなっている。

直感的にプラトン立体への指向を感じてその旨お伝えしたら、学生の頃はやはり立体もされていたらしい。その時の各面はプレーンなもので、今回のような折り紙のような貫通体が描かれたようなものでは無かったらしい。

プラトン立体
プラトン四大元素説のそれぞれの元素に正多面体を充て、その循環構造を述べたもの。宇宙自体は正5角形12面体とし、その完璧さ故に秘密とされた。宇宙の姿が正5角形12面体と聞かされると現代人には荒唐無稽な作り話に思えるが、しかし最新の宇宙観測の結果としての泡宇宙像では、泡と泡の接面に銀河のような密度の高い空間が生じるらしく、かつその接面の状態は、正5角形12面体の四次元投影立体とよく似た様相であるらしく、そこからプラトンはその3次元への投影像を見ていたのではないかとする数学者の指摘もある。

宮崎興二先生の研究引用
http://audience.studio-web.net/diarypro/diary.cgi?no=209

折紙状の貫通体個々には折り曲げを2箇所というルールを設けルーティンにされている。
灰色の部分は貫通体の影の部分。一方向からの光によって生じた影の表現は、杉山さんの生きていく上でのタイミング(世界との接触面のようなものだろうかと推測)と深く関わるものであるらしい。
六角形を平面充填していくのならば、回転も可能であるだろうし、その一方向からの影の表現は方向を撹乱されて、方向を失う表現となるのだろうかとお聞きすると、回転させず、あくまで光の一方向の軸は変えないらしい。

充填形で無限に繋げていくイメージは、では無限遠ではそれはどうなっていくのかと空想は広がる。
絵画は特権的に、焦失点を持った構造で無限遠を描く(それは虚像であるけれど)ことが出来る。その焦失点はある意味でカオスな状態であるだろう。どうなっているのか、実際描く事は無限遠であり、変化の様は原理的に予想不可能であり、絵画はトリックでもある。

充填形で無限に繋げていくイメージは、そのような絵画的な特権を一旦脇に置いて、日常的な穏やかなとも言える方法で、無限遠に対していると感じる。それもまた絵画の別の形式での特権のようなものだ。

奥にある大きな一枚の絵画も興味深い。断片的な折れ曲がった線が浮遊し重なりあった部分には、ここでも微妙な影が生じている。

直感的に、私の銅版画の先生の芝高康造さんの作品を思い出していた。

芝高康造さんの作品
http://livedoor.blogimg.jp/artkobujime/imgs/3/f/3fab1697.jpg(小吹隆文氏のブログ画像より引用)

ボッティチェリの「ビーナスの誕生」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
を題材に、ビーナスの足や手の輪郭線の断片を再集積し、線をビュランで彫って、プリントしたもの)

その事をお伝えして、また杉山さんの作品では文字の断片のようにYやJや→のように見える部分も感じるのでお聞きすると、制作ノート見せていただき、文字を立体化した過去のドローイング作品から、文字の基本的な構造は捨てて、輪郭のある特徴を持った部分のみ抽出して、再構成されたものとのお話でした。(それは自分で作り出した世界を時間が経った後に、再構成することで、人生の中でのLoopの意味でもあり、自分がやってきたことへの自己評価でもあるらしい)

その時、文字も人体もよく似ているなと気付きました。どちらもスケール非依存で、どれだけ大きくても小さくても、文字は文字として、人体は人体として認知されるが、それ以外の存在物であれば、スケール依存的で、巨大化すればその意味は変貌してしまう、不思議な性質を持っていると言える。

そして、それらの断片も同様の性質を引き継いでいるように思われる。ではその性質はギリギリどこまで引き継がれるのか、断片化の試みはとても興味深い。

実際の私たちの生活の中で、豊かな穏やかな空間と感じるところには、そのようなスケール非依存的な要素を引き継いだ断片と、スケール依存的な存在物とが、複雑な混成系をなしていて、それによって安定をもたらしているのではないだろうか、そのような示唆に富む作品群であった。