小松原智史「コノマエノコマノエ」展

オープンの翌日、見っけこのはな2016と、そして会期末前日の今日と、3回伺い拝見しました。
会場の横幅10m程の壁面に2ヶ月近く制作し続けられた作品を継続して拝見できて、とても良い体験となりました。


Konohana’s Eye #13 小松原智史「コノマエノコマノエ」展
http://thethree.net/exhibitions/3865
the three konohanaのwebより引用

2年前にここthe three konohanaの個展で拝見した時の描き方から大きく変化していて、具象物はほとんど存在しなくなり、断片化しつつシームレスに繋がっている膨大なイメージ群がありました。
既に描かれた複数のキャンバスを島のように壁面に離散的に布置されていて、それを手掛かりにペンと墨とで描き始められている。
具象物はほとんど存在しなくなっていましたが、しかし作品中にわずかですが存在する人体の断片のような、特に手の指に近いイメージがあったので、小松原さんにお聞きすると、描かないように意識しているのでその箇所を見つけたら教えて欲しいと。
箇所を指摘すると、無意識に分岐するものを描く時に、5つに分岐すると自然な為に、指に近いイメージとなるのではと。
それをお聞きして、下記の「自然の美しさと対称性」の論理を思いました。


自然の美しさと対称性」
「桜、特に馴れ親しんだソメイヨシノの花弁を見て何か気づかれることはないでしょうか。それは、花弁が5枚から成るということなのです。実は桜以外、道端に咲いている花を見てみても、5枚の花弁を持つ花に多く出会うことができます。当たり前のことのように思われるかも知れませんが、これが非常に興味深いことなのです。(略)なぜかわかりませんが、自然はこの5回対称性を好むようなのです。」
早稲田大学基幹理工学部のwebより引用

前回の小松原さんの作品に対して書いたレビューに私は『 排他的論理和的思考と、非決定論的方法という、人間にとってとても日常的で普通の穏やかな思考とも言えるものから、何故このようなイメージが生じてくるのか、様々な示唆を感じます。』と記しましたが、今回の作品を拝見して、そこにさらに、上記の5回対称性のような、自然の生成の法則との親和性を加えたいと感じました。


小松原智史「エノマノコノマノエ」展
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20141129/art

見っけこのはな2016の帰路に伺った際に、会場に2年前の小松原さんの個展の際に、同時に近くのASYLで個展されていた杉山卓朗さんも居られて、杉山さんの「Loop」展のことも思い出しました。お二人の表現の表面的なイメージはまったく違いますが根底にある思考がとても近いなと漠然とその頃思っていたのですが、今回拝見した作品通じて、つながりがよりクリアに感じられました。

杉山さんの「Loop」展のレビューに私は下記のように記していました。少し長いですが引用。


杉山卓朗「Loop」展
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20141214/art

奥にある大きな一枚の絵画も興味深い。断片的な折れ曲がった線が浮遊し重なりあった部分には、ここでも微妙な影が生じている。直感的に、私の銅版画の先生の芝高康造さんの作品を思い出していた。


芝高康造さんの作品
http://livedoor.blogimg.jp/artkobujime/imgs/3/f/3fab1697.jpg(小吹隆文氏のブログ画像より引用)

ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を題材に、ビーナスの足や手の輪郭線の断片を再集積し、線をビュランで彫って、プリントしたもの)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F

その事をお伝えして、また杉山さんの作品では文字の断片のようにYやJや→のように見える部分も感じるのでお聞きすると、制作ノート見せていただき、文字を立体化した過去のドローイング作品から、文字の基本的な構造は捨てて、輪郭のある特徴を持った部分のみ抽出して、再構成されたものとのお話でした。(略)
その時、文字も人体もよく似ているなと気付きました。どちらもスケール非依存で、どれだけ大きくても小さくても、文字は文字として、人体は人体として認知されるが、それ以外の存在物であれば、スケール依存的で、巨大化すればその意味は変貌してしまう、不思議な性質を持っていると言える。
そして、それらの断片も同様の性質を引き継いでいるように思われる。ではその性質はギリギリどこまで引き継がれるのか、断片化の試みはとても興味深い。
実際の私たちの生活の中で、豊かな穏やかな空間と感じるところには、そのようなスケール非依存的な要素を引き継いだ断片と、スケール依存的な存在物とが、複雑な混成系をなしていて、それによって安定をもたらしているのではないだろうか、そのような示唆に富む作品群であった。


杉山さんの作品が、グラフィティと物質的なものの断片の複雑な混成系であるとすれば、小松原さんの作品は、言語文字以前のピクトグラム的なものと物質的なものの断片の複雑な混成系ではないだろうかと感じます。
素晴らしい作品群、感謝。それにしても壁画解体が惜しい。どこかパブリックな空間に恒久展示されてしかるべきクオリティと思います。