the three konohana Director’s Eye #3 「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」

午後、西九条へ出て、the three konohanaさんへ。

the three konohana
Director’s Eye #3 「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」
http://thethree.net/exhibitions/2111
(MIRRORの単語は棒線で抹消表示)

この展覧会企画されたキュレーターの長谷川新さんが、昨年京都で企画された「無人島にて―「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」展は観に行けませんでしたが、私が20歳の頃、初めて現代アート知るきっかけとなった福岡道雄さん達を中心に、その時代の表現に再評価を与えられたので、その事がとても嬉しく、どのような方なのか興味深く、今日は伺いました。

作品を見つめつつ、もう40年近く前の自身の記憶を同時に辿っていました。

福岡道雄さんの作品から受けた衝撃は、その頃には言葉で表現することは出来ませんでしたし、何かを作ることで、考える、そんな感じでしたが、作ることをしなくなって以後、いろいろと文書を書くようになったのは、一つには、当時私が何に衝撃を受け、何を作ろうとしていたのか、無意識に近くしていたことを見つめ直す行為であるかもしれないと感じています。

福岡道雄さんの作品から受けた一つのイメージは、「意識は生き延びる為に瞬間的に世界を切り取り断片化し、それを無意識は緩慢に結合する」そんなものであったかなと思います。

特に黒いポリエステル樹脂で出来た波のオブジェや、初期のピンクバルーンのように、作品自体とそれを支える架台=世界との関係について考え抜いた結果辿り付いたイメージのように感じています。それはある意味で、浮遊するような形態へと、とても孤独な作業であったろうと。
今日の展覧会にそのような痕跡が意図されているのか、否か、見つめていました。

20代〜30代の若い7名の出展作家さんは知らない方ばかり。

作品群を見ながら、いろいろな事が頭に浮かんできました。
いろいろな事がシンクロしてくることの面白さでしょうか。浮遊することへの意識のような。

奥の和室のオブジェを観ながら、最近テレビで知った女優の真矢みきさんの地図好きになったユニークなエピソードを思い出していました。

2015年1月6日放送
スタジオパークからこんにちは
(ゲスト 真矢みき)私 実は…地図ガール
TV出た蔵より引用
『半島や岬が好きで実際にそこに行くよりも地図を見るのが好きだというきっかけは19歳の頃の宝塚歌劇団のハワイ公演で初めての海外で飛行機に乗った際窓際から襟裳岬が見えた際、伊能さんすごいと感動したという。地図好きの真矢さんは特技があり47都道府県の県の形が書けるとのこと。まずは秋田県に挑戦、真矢さんは秋田県は人の横顔の形をしていて簡単とのこと、実際の地図と比べてみるとそっくりにかけていた。続いて愛知県に挑戦、書きながら渥美半島が大好きで始まったいっても過言ではないとコメント。真矢さんは愛知県は蟹というよりティラノサウルスに似ているとのこと、実物と比べてみるとほぼそっくりに書けていた。』

それから少し前に考えていたデュシャンのこと。
(断片的に書いていたことをコピーしてみます)

その1
デュシャンの生まれた1887年の2年後にはキネトグラフが発明されていますが、その前後に生きたアーティストの作品の方法なども興味深い。
動画技術が生まれる前の作家と、以後の作家と。
例えばゴッホはキネトグラフ発明の直前の1890年に自殺していますが、彼の晩年の揺らぐ描画は、観察者中心座標系は揺らいでおらず、環境中心座標系の揺らぎを描いており、それは動画的技術の開発への人々の無意識の現われなのかと感じます。
対して、デュシャンのように動画技術を知る世代でありながら、階段を降りる婦人像のような、分解写真のような描画をあえて描いた人も居る。
何故、デュシャンは動画的表現を取りつつ、あえて、静止画としてのタブローや、大ガラスのようなものを描いたのか興味深い。
おそらく、静止描画に較べて比較にならない程のリアルな情報量を盛り込める動画に対して、デュシャンは、多元的に見えていながら、単一の機械的なカメラからの視点での時制に一元的に圧縮されたものとして、動画表現に関わらなかったのではないかと空想する。
そこから彼の、個人的な視点を崩壊させていく、様々な試みが始まっているかのように見えます。
30年前に出版された宇佐美圭司著「デュシャン」を読み終えたところなのですが、いろいろ興味深い記述がありました。
大ガラスの制作と並行して書かれ、作られたグリーンボックスのメモが、大ガラスのコンセプトでもあるらしく、その出発点が、デュシャンが友人達と出掛けた1912年のドライブ旅行であるらしい。1912年の頃の自動車て、どんなものなのか、よく分りませんが、現在の私たちがドライブした時の気分とはおそらく比べ物にならない、興奮とイマジネーションを刺激する経験だったろうと、思います。
当時の自動車がどんなものであったか、検索してみると、概ねオープンカーのようで、フロントガラスが衝立のように水平にニ分割されてあります。
大ガラスとは、ちょうどそのような車のフロントガラスに映し出される、車外の光景であったり、逆に映りこむドライブ仲間の姿であったのかもしれません。』

その2
『デッシャンの大ガラスの性的イメージで区分された2段のうちの下半分は、独身者(男性)の世界=透視図法で3次元の世界の2次元世界への投影として描かれている。透視図法という、ものの配置が一義的に無限遠まで確定可能な、ある意味で決定論的な世界と、上半分の花嫁(女性)の世界=雲のような不確定な形態すなわち非決定論的世界が、4次元世界の不可知な想像上の存在として、その断片としての3次元への連続体がさらに2次元へと投影されている、とても複雑な構成になっている。
しかし、上下の世界は金属の枠によって分離されていて、交わることがない。
デュシャンが大ガラス制作後、表向きには絵画の放棄をしていて、何故放棄したのか考えているうちに、結局、人間的な限界、視覚的網膜的な絵画の限界を超える試みをしながら、結局、それは絵画的表現によってしかなし得ないのと、大ガラスにしてみても、上下の空間次数に柔順な配置がやはり重力に支配されたノーマルな人間の感覚の表現になっていて、それを超えるような表現となっていないことへの限界を感じたのではと。』