「フリースタイル・ダイアローグ」出版記念イベント(見たり、聞いたり、語ったり、参加したりはつくること)

「フリースタイル・ダイアローグ」出版記念イベント(見たり、聞いたり、語ったり、参加したりはつくること)
https://m.facebook.com/events/1458924931063916?refid=52&__tn__=%2As
アートスペースジューソーより

18時30分からのゲストトークショーのみ拝聴。
ゲストは
雨森信(Breaker Projectディレクター)
江上ゆか(兵庫県立美術館学芸員
笹島秀晃(大阪市立大学研究員)
増本泰斗(アーティスト)
以上4名の方。

アートスペースジューソーさんへ伺うようになったのは、アーチャンが子どもオーケストラ等のワークショップでずっとお世話になっているBreaker Projectさんの事務局内にアートギャラリーが出来るというので、オープニング展の増本さんのことも、ギャラリーオーナーの谷川さんのことも何にも知らないで伺ってという次第。

最初の日は私だけで伺い、次の週に、展示が良かったので妻子を連れて伺って、増本さんといろいろお話ができたんです。

それからしばらくして、谷川さんからメールが来て、増本さんが展覧会に来訪された方たちと対談する企画考えられていて、相手の一人に私を希望されていると。
でも他の方は全員、現役でアートの最前線で活動されているプロの方ばかりだし、対談なんてやったことないしでどうしようか戸惑いました。
谷川さんから、増本さんはむしろ美術の世界に特化した人に無い視点での意見のある人として希望されているのではと。

それで、何でも経験と思い、参加させていただいた次第。
結果的に参加してとても良かったと感じています。
他の方の対談を拝読すると、皆さん、対談等に慣れていらっしゃるし、ポイント絞って話をされているのですが、私はやったことないし、何を喋るねん状態で、対談まで時間少し空いてたので、喋る内容をメモしていきました。メモするうちに、あれもこれもとなり、ぐちゃぐちゃになってきたので、整理してパソコンで描き直して持って行きました。(そのイメージ図も掲載してくださった)
アーチャンとのこと含めた、とてもたくさんの内容になってしまった。
対談の後、増本さんからテープ起しのテキストがメールされてきて、私が仕事の現場の議事録作成でいつもしているように、参加者で順に廻して、書き込み修正した場合は、色を替えて書き込み共有するスタイルでお願いしました。
その場で喋った内容(自分ではそう思って喋ったつもり)と、文字起しされた内容とで違っていたり、そのままだと、よく分らない内容を修正したり、書き加えたり。
その場での対話を、文字を介してもう一度経験し直している感覚は、仕事で議事録作成していた時にはもちろん感じることのない感覚だし、この部分は、今日の出版記念イベントの増本さんのサブタイトルの「見たり、聞いたり、語ったり、参加したりはつくること」そのものと感じました。
それと同時に、過去の自分の経験や記憶に基づいて喋ったりしていたことが、文字によって整理されていくうちに、記憶そのものが編集し直されて、どんどん変化していっていることにも気付きました。
「新しい様式を作ることは、過去の様式に養分を送ること」(私が敬愛する建築家の篠原一男先生の講演会での言葉)そのことが小さな個人の記憶や作り出したものの中でも生じているように感じました。
今ここ的感覚はとても大事ですが、それが常に現在=未来から書き換えられている感覚。
ちょっと大袈裟ですが、今ここ的感覚が崩壊していくような感じ。

増本さんがいろいろ言われている感覚もそういうことなのかなと。

トークショーの方は、増本さんが進行役のような感じで始まり、アマチュアの私には知らない作家名や知らないアートイベントのことがいろいろ出てきて、理解が難しい面もありましたが、話の流れとしては、概ね理解ができました。以下、断片的に。

ジェントリーフィケーション(再開発によるスラムクリアランス的な)によってできたアートスペースに通うアーティストの感じ方の問題とか、全部クリアランスせず残したい痕跡のようなもの、小さなスペースへの思いとか。
作品を視覚的に見るだけでなく、匂をかいだり、触れることで初めて分ることの経験。

美術館などでのアートの経験とその後で観客同士でそれを共有しあえるバーみたいなものが出来ないか。

ソーホー的な空間が人気を得てくると、アートビジネスとセットになって出来てくるレストラン含めたハイソな都市の生活文化、その繰り返し。

社会学者の行なうカメラを使ったリサーチ。使うカメラの機種によってこちらの感覚が変わってくる。撮るという行為で見る感覚も変化すること。

遠方の地域イベントを見に行くことと、見に行かないことと、同じ事にならないか(増本さんの意識?)

海外のアートイベントのホームページ検索し、参加アーティストの情報を検索し、展覧会の内容を詳しく知ること。それはネットの無かった時代の資料調べとよく似た構造では。

もっと情報の少なかった時代に一枚の写真から想像する幸福な誤解のようなもの。

デモに行かないイベント。プラカード持って集合し直後に解散みたいな。

増本さんは、今日最初に、まとめない、結論めいたこと出さないと言われてたように、こんな感じの話がエンドレスに続き、時間が来て終了でした。

楽しい体験、感謝。

トークショーの追記。
社会学者の行なうカメラを使ったリサーチ。使うカメラの機種によってこちらの感覚が変わってくる。撮るという行為で見る感覚も変化すること。」の話題の時に、増本さんが人によってキャプションと作品別々に必ず撮る人など、撮り方がいろいろあると。
キャプションと作品を撮る順番を決めておかないと間違えて別の作品のキャプションになってしまったり。
江上さんは、美術館の仕事として作品撮影するときは、そこは間違えられないし、作品を撮る時と、撮らない時とでは感じ方も違ってくると。

その感じ方の違いて、何だろうと私も思いました。

展示として置かれているキャプションを記録することと、展示を見て、自分なりの感想や批評を書いたりすることは、似ているのかなと。

キャプションをリンクすることで、作品がアンカーされるというか、アーカイブになる。

作品を見るという、今ここの経験が、自分なりのキャプションを書くという行為が起きてリンクされることで、アンカーされるような。

作品の経験は変えることは出来ないけれど、自分なりのキャプションを書き、そしてそれを次々書き足したり、修正していくことで、経験の今ここ的感覚のアンカーの位置もずらしていけるように思えてきた。

言葉はいろいろな意味で安定に向かうよう支えてくれるものと感じていましたが、今ここ的感覚をアンカーする行為の底を抜いてしまうような、そうでない働きもあるのかなと。

いろいろなヒントを与えてくれた対話、感謝。

追記その2。
最初に増本さんから問い掛けられたテーマの
「ジェントリーフィケーション(再開発によるスラムクリアランス的な)によってできたアートスペースに通うアーティストの感じ方の問題とか、全部クリアランスせず残したい痕跡のようなもの、小さなスペースへの思いとか」を巡る対話聞いていて、過去の私の体験が思い出されてきた。

ジェントリーフィケーションとは逆のというか、古い建築を再生しようという試み。

1920年代に建設された、ホテルをそのまま活かして、工学系の大学にコンバージョンするという仕事にハードワーク側で関わったのですが、室内は何度も塗装が繰返されていて、元もとの色がどんなだったかという議論になり、でも古い資料は全部モノクロだから分らないので、壁の塗料を分析して判断となりました。全体のまとめされた大学の教授は、分析結果が白系だったので、でもどのようなテイストの白かまでは分らないので、いくつかパターン作成して、中から、しっくいに近い印象の白を選び、施工となりました。
塗り終わった頃に、学校関係者が当時ホテルの従業員だったというお爺さんを見つけられて、改修後の室内を見てもらったところ、いやもっとクリーム色に近かったと。

でも、その人の記憶がどの時点の記憶なのか、オリジナルの色なのか確定のしようのない話でもあるし。

それで、元の建物の設計者さんはフランク・ロイド・ライトのお弟子さんでライトの帝国ホテルの担当者でもあったので、影響受けてる可能性高いなと思い、ライトの作品ツアーをバブルの頃のサラリーマン時代に社費で行かせてもらったので、ひょっとしてとその時のアルバム開いてみたら、そのどれもが薄いクリーム色だったんです。
それで、そのアルバム持って現場へ行き、検討の結果、従業員さんの記憶に従い、クリーム色にもう一度塗りなおしに。

もしあの時、元従業員の方が見つからなかったら、全然違うものになっていたでしょう。でも過去の塗料の分析は白系だったし、どこかの時点の壁は再現できていた筈の話。

痕跡を残す場合、それがどの時点の痕跡なのか、そしてそれを確定させるストーリー作りが必要なことなどもあり、とても難しい。
痕跡=生き延びた記憶みたいなものを採択する場合、ジェントリーフィケーション、コンバージョンに関わらず、おそらく生き延びてきた記憶のようなものに作用してきた、偶然のちからと如何に関わるのか、そう思えてきた。