マン・レイ展

文化の日国立国際美術館入場無料だったので、家族で行きました。無料という事でさすがに混んでいました。
マン・レイさんの事ほとんど知らなかったけれど、時代が最近興味を持っている1920年代前後にヨーロッパで活躍したアーティストという事で、その時代の空気をよく感じることができました。アメリカからヨーロッパに最初に移るきっかけをつくったのがマルセル・デュシャンらしく、デュシャンの作品も一部展示されていたので、僕はこの美術館の開館の時のデュシャン展を思い出しながら、それとの比較を無意識にしていました。
この美術館はエントランス以外全てが地下にあるということで、そのことが私達の無意識の領域を開かせ、人と人、人と物の距離を近づけるような印象を持っていて、性的なオブジェのイメージが根底にあるようなデュシャンの作品にとてもマッチしていると、その時に感じたのですが、今日見た感じでは、マン・レイさんの方がよりこの空間に親しいイメージがあるように思います。
分析的で断片的に性のイメージを提示するデュシャンに対して、マン・レイの作品は、もう少し等身大の人間を表現しているような感じ。戦争の時代に翻弄されながら、でもどこか心の拠り所をしっかりと持っているような。肩肘張らないで、でもイメージそのものは、シュールリアリズム的な、意識的な方法を越える、無意識的な部分を取り込んでいる。
戦争の時代そのものを、集合的無意識の、シュールリアリズム的な巨大な行為と感じていたとしたら、言いすぎだろうか。写真という方法自体が、彼にとっては、既にシュールリアリズム的な道具であったのかもしれない。
マン・レイの墓標として刻まれた「Unconcerned But Not Indifferent 無頓着、しかし無関心でなく」という言葉が展覧会のタイトル。
レディメイドを選択していったデュシャンの「視覚的無関心」と通底するような、でもより人間臭い言葉。

マン・レイ
http://man-ray.com/