宮島達男Time Train展

国立国際美術館を出て、心斎橋のSixへ。前回のデヴィッド・リンチ展と同じ場所とは思えないくらい、空間構成は丁寧に作り変えられていました。ここはコムデギャルソンの運営されているギャラリーという事で、作品だけでなく、ギャラリー自体が表現物となっている様子。
宮島達男さんの作品、雑誌等の写真などではよく見ていましたが、ギャラリーでは初めて。案内状のままのように、蒸気機関車の列車のミニチュアモデルがデジタルカウンターの小さなキューブを石炭か何かを積むように延々と走っている。こうして見るとデジタルカウンターも既に過去の遺物であるかのように感じてしまった。
子供の頃、大阪へ田舎から出て来る時に、まだ現役で走っていたSLに乗って、石炭の煙の臭いに閉口した記憶蘇る。本来はミニチュアモデルを見ればそのような、懐かしいような希望を感じるようなイメージを抱くけれど、ここでは同時に、アートに反権力の思い、戦争の悲劇への思い込められているようである。
亡父はシベリア抑留者であり、長い抑留生活で凍傷で指の一部を失い、心身共にボロボロになって帰還しているし、身近にそのような悲劇を体験してきた人間を見てきたものとして、よく生き延びてきたな(それ故に私は今ここに生きている)という思いと共に、何故死ななかったのかという不思議な思いも同時に抱いてしまう時がある。
あらゆるものが信じられなくなる時、アートへの思いが強くなる。
マン・レイ展と宮島達男TimeTrain展、たまたま偶然同じ日に見たけれど、どこか繋がるところがあるのかもしれないな。戦争に翻弄された時代を生きたマン・レイの作品は、でもそんな暗い影は感じさせなくて、どれもが小さくて優しい様相。宮島作品も同様。ホロコーストの時代再来だけは御免だ。

宮島達男
http://www.tatsuomiyajima.com/jp/