天音堂にて「フルイミエコ展」<八月の種>を観る

prader-willi2005-08-21

天音堂からのメールマガジンから引用(転載許諾済)
http://artgram.jp/hjn/gallery/amanedo/

【フルイミエコ展「八月の種」】特別展示
○2005年8月19日(金)〜8月28日(日)
8/24(水)休廊 ※作家在廊予定/8月19日、21日、28日

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[作家コメント]

私は戦争体験者ではありません。
しかし子どもの頃から、戦争の記憶を
風化させまいとする多くの人々の表現が
私の中にヒロシマのイメージを形づくりました。

ヒロシマは私たちの心の中に、
永久の願いを刻み続ける
大きな種のようなものであるとも感じられます。

世界では悲しい出来事が多いのですが、
この種がいつか平穏と安息の花を咲かせることを祈って、
まず思いを伝えることから始めたいと思います。(フルイミエコ)

purimariさん誘って、南堀江周辺のギャラリー巡りする。
作家のフルイさん、在廊されていて、少しお話する。
タブローだけれど、日本画のように最初感じるのは、下地に工夫がされていて、非常に早く絵の具を吸い込んでいく為らしい(何となくテンペラのようなものか?と後でカーチャンが言っていた)
多分、下地の部分に強い表現をいったん作り上げ、それをイメージの力でおだやかに隠蔽しているように感じられる。(無意識と意識の関係のように。ゴヤのタブローが宮廷画家であった頃、丁寧な且つ荒々しい下塗りの工程のあと、透明感あふれる仕上げがなされていたものが、晩年、その荒々しい下塗りが、反転したように黒い絵として、噴出したような、そんな事が薄く予感されるような印象)

フルイさんのコメント読むと、少し重いものを感じますが、作品自体を見ると、そのような思想信条を離れて、純粋に絵画としての楽しみ、しっかりとした骨格の部分が感じられます。
花鳥風月的な、分り易い奥行きの少ない遠近法のようでありながら、作家のこだわりは、そこには無くて、ものの輪郭線と、その分岐の中に生命を見出しているように感じました。
手前に展示してあった、テーブルに肘をついて座っている人物像の、顔の輪郭線が、首のところでクロスして、輪郭線の太さのまま、肩、腕になり、最後にそれが分岐して指となり、しっかりと左右の手が重ね合わせられている。
それと、ドローネーの色彩の球による構成に似た、枝に咲く花の小さな絵が、印象的。