アトリエひこ展

「大阪あきない祭2011」「西区マスターズオープン2011」とお祭の喧騒から一転して、天音堂さんの静寂なギャラリーへ行き、とても落ち着く。
今年の夏に拝見した松本国三×大江正彦「日書日描」展の、制作活動の場の、アトリエひこのメンバー17名の作品が一堂に。

アトリエひこ展
http://amanedo.exblog.jp/16616912/
天音堂より引用

皆さん障害があり、アートの分類としては所謂、アールブリュットと呼ばれるアート。
絵画の画面に向かうベクトルの深さと言うのか、その集積に尋常でない強度があり、一点一点に向かうその深さと、次々と作られていく作品群の広がりに見られる頑ななまでの継続性とが、一人一人の作品に感じられるが、こうして17名分が集ると、大変な迫力である。
個々の作品で印象的だったもの。

金昌裕さんの富士山のタブロー。ランドスケープとしての富士山の中に顔の痕跡があり、顔的なシンボリックな存在と、果無く続く世界とが地続きであってかつ明確にエンクロージャー(境界)があることを感じさせてくれる。

佐野佳世子さんの黄色い自画像。周囲は暗い青色の世界があり、そこに灯るような不安げな黄色いシルエット。
我が娘のアーチャンもそうであるが、おそらく外界の対象物中心座標系と、内面的な認知の観察者中心座標系の統一がうまくいかなくて、自身の存在の実感を獲得することが、とても困難な時、人は何かにしがみつくようにして、心の安定を得るので無いだろうか。そんなイメージを感じさせる不安げな顔。

佐藤春菜さんの、断片的なボール紙に書き込まれた文字や記号のコラージュ。
特に「川」というタイトルの、小さく細長く切り取られたボール紙に、短い線が一本だけ書き込まれていて、それを集積していくことで、水面の煌きのような光景となっている。短い線は煌きであり、かつシンボリックな文字でもあるような

河崎崇さんのドレスデザイン。ハートマークが印象的な薄い紙に描かれたドレスデザイン。輪郭に応じて紙が切り抜かれている。輪郭線と切り取りの位置とが大きくずれていて、それは意図的に余裕を持たせてそうしているのか、もしくは構成失行として、うまくフィットしないのか、分りませんでしたが、自分にとっての安心感の拠り所としての包み込まれるべき服を、外部化して、とても薄い存在であることが印象的。
服としてイメージされていないのか、二次元平面のまま、シンボリックに薄い存在として吊られて展示されている。