芝高康造展を観る

僕の銅版画の先生、芝高康造さんの個展が2箇所で同時開催されている。

http://www.eonet.ne.jp/~amanogallery/newpage1.html
天野画廊のHPより 2005年11月14日(月)−11月26日(土)

ギャラリーR・P 2005年11月14日(月)−11月26日(土)

天野画廊の作品は、銅版にアクアチント(松脂の粉末を使用して腐食をコントロールする技法)を施した状態で、釘を打ち付けて、その振動によって、松脂の粉末に振動が伝わり、そのエネルギーが可視化されるという黒の作品と、アクアチントの処理中に銅板を傾斜させて、自然な流れを生んでいる赤い作品。手法だけ聞くと、具体美術協会の方法のような、行為と造形的現象を明確化し、人間の作用を相対化、メタ化する方法に近いものと感じてしまうけれど、版画の場合、製版の作業と摺りの作業と、異なったプロセスを踏む事によって、再度、人間の感覚に近いものへと戻すことが可能になっている為に、技法自体をメタ化の為の技法とする道から、遠いものとなっていて、圧倒的な摺りの技術が、そのような感覚を強固に支えていると感じる。
ギャラリーR・Pの作品は、ドライポイント(鉄筆で直接、銅板を引っ掻いて、ザラザラとした線を引く技法)によるもの。ひとつの版で赤の部分と黒の部分と刷り分けられていて、ここでは摺りの作業の関わりの見え方の比重が大きくなっている。版画は原版と刷りとは鏡像になっていて、かつドライポイントのように、銅版の引っ掻き傷によるめくれの部分による、インクのにじみ等、なかなか予測困難な要素が含まれたところがあり、それらをコントロールする的確な技術が要請されるところがある。感情的なものを廃して、かつ人間に親しいものを、象徴性を廃して、物質的なもののみによって、作ること、芝高さんから学んだ、ものつくりの自分なりの感じ方は、今も変わらない。