信濃橋画廊コレクション展

20代の頃に個展をしていた信濃橋画廊のオーナーの山口勝子さんが、私の銅板画2点を気に入って持っていてくださったのですが、画廊閉廊後、45年間集められた他のコレクションとともに、兵庫県立美術館に寄贈されて、幸運にもアマチュアの今はもうピュアアート制作もしていない私の作品もパブリックコレクションになりました。
10月13日に家族で展覧会見に行き、今日27日は、お世話になった福岡道雄さんの対談ということで、再度伺いました。寄贈してくださった山口勝子さん、いつも私を励ましてくださった福岡道雄さん、改めて感謝です。
会場の配置で、私の作品のちょうど前に福岡さんの黒の彫刻が置かれていて、そのことも嬉しい偶然でした。

兵庫県立美術館 2013年度コレクション展 特集「信濃橋画廊コレクションを中心に」http://www.artm.pref.hyogo.jp/news/press/pdf/press_y130615.pdf

対談「すっかり駄目になった僕たち」
2013年10月27日(日)14 :00 〜15 :30
平田洋一× 福岡道雄

他人の作品の事は好き勝手に書けるのですが、自分のとなるとなかなか書けず。しかも30年近くも前のもので、思い出しながらなので、どんなこと考えながら作ったかの部分はほとんど忘却しているので、作り方のことを記録としても残しておこうと思う。

当時とほぼ同じテイストの木製額縁なのが嬉しいですね。私のはもっと細い縁のものだったと記憶します。周囲の白いマットも当時は入れないで、手漉き紙の滑らかなエッジを見せる感じでした。でもマットを入れることで引き締まった感じも良いですね。
私の作品は銅板画です。
誰でも簡単に作ることが出来る、再現可能な方法を常に意識していたので、多重版ですが、それをスライドさせながら、版の存在を明確にしています。

部分拡大。

最初、一番下の赤い版を作ります。塩化第二鉄の腐食液に裏向けにして、少し底から浮かせて設置、チューブで息を下から吹き込んで細かな泡を送り込みます。普通は泡は腐食を止めてしまうので、泡が生じないように静かに版を設置するのですが、ここではそれをノイズ扱いせずに、むしろその効果を活かしています。
それでまず第1版を刷ってみます。それは偶然生じてくるイメージなので、それをじっと見つめながら、上下左右をどちらにするか決めて、そしてそれに第2版の青のドットの配列をイメージしながらドローイングして、それを青の版に当てて、ドットの位置をドリルで孔を開けていきます。そうすると、孔の部分は刷ると紙がプレスされて、エンボス状になり、またそのエッジは金属のバリが生じるので、ドライポイントのような滲みが生まれます。
ここで、赤の版と青の版を重ねて刷ります。
そして、そこに緑の版のイメージをドローイングして、ドットを描きます。その紙に孔をパンチして、裏返して緑の版に置き、アクアチント(松脂の粉をまいて熱で定着して腐食止めにする技法)すると、その孔の位置に松脂が落ちて、ドットが描かれます。それを腐食して原版の完成。三つの版を使い、順次刷り銅板画の完成です。
展覧会の時は、これを複数作り、作品ごとに大きさを変化させながら、不連続に緩慢に揺れ動く様を表現しました。
最初の赤の版が泡を用いた偶然生じてくるイメージにして、それを見つめているうちに感じてくるイメージをドローイングして重ねていくというところがポイントと思います。偶然の世界がベースになっていて、そこに意識的な行為が関り切り取っていく。当時はサラリーマンしながら、休みの日に制作だったので、こういう分割した作り方を、サラリーマン手法と呼んでいました。2版目以降のドローイングも、深夜布団の中で半分寝ながら、意識と無意識の中間を漂いながらという、なんとも曖昧な状態で描いていたように記憶します。
意識や理性的な行為に限界を感じていたし、無意識的行為や夢の効果、意識が瞬間的に切り取った世界のイメージを無意識が緩慢に繋げていくような世界を考えていたのだと思います。
でも、当時はただ無我夢中で、ひたすら版に向かっていたように思います。
会場では福岡さんの作品が前にあり、嬉しい2ショットに。

あと、少し前に書き込んだ、当時を思い出してのメモ再録。

20代の頃、サラリーマンの私は年1度、信濃橋画廊エプロンで個展するのが楽しみでした。山口勝子さん感謝です、拙作銅板画2点寄贈くださいました。
本当に、ラッキーと言うのか、偶然に知り合った人や場所に導かれてきたような思いがありますね。
高校を出てすぐに勤めた事務所が、たまたま本町のうつぼ公園近くにあり、所長の変な志向で土曜日半ドンだったので、帰路、偶然知った信濃橋画廊現代アートの魅力を知り、通うようになりました。
そこに置かれていた、芝高康造さんの銅板画工房のパンフレット見て、工房見学に行き、やってみようと。
サラリーマンですから、制作は休みの日のみ、そのうち、工房展に出展させていただくようになり、何年かして、芝高先生が個展してみる?と。
「え〜、わたしが個展?」状態でしたが、信濃橋画廊に推薦していただき、エプロンという小さいスペースでさせていただきました。
そして1年に1回の個展を何年かしているうち、福岡道雄先生が推薦してくださり、サマーフェスティバルという画廊のイベントに招待いただき、大阪芸大の奥田右一さんと一緒に展示させていただきました。
翌年、岡村洋さんを紹介していただいて、二人展をしました。その際の作品の2点を山口勝子さんがコレクションしていただき、今回の寄贈へとなりました。
それから、バブル景気となり、あまりの多忙に休む間もなく働いているうち、アート制作も疎遠となり、フェードアウトしてしまいました。
そんな活動していたことも、実際に忘れていました。
時が経ち、アーチャンが障害を持って生まれてきて、精神的にも経済的にも悩んでいたころに、アーチャンも自分も救済してくれるのは、やはりアートではないだろうかと思い、今もある意味でリハビリ中のような感じです。
昨年、美術館から連絡いただいた頃に、アーチャンがお世話になっている今池子供の家の西野さんから、アートワークショップの手伝いをして欲しいと依頼があり、背中を押される思いで(わたしはいつもそうなのかもしれません)やってみようと、思いました。娘のこと含め、いろいろとよろしくお願いします。
改めて、ほんとうによい人との出会いに恵まれ、励まされてきたと思います、感謝です。