新野洋展

心斎橋のsixを出て、地下鉄で淀屋橋へ。そこから少し歩いてYODギャラリーへ。初めて伺うギャラリーでしたし、知らない作家さん。
ネットの情報見て、ユニークな作品だったし、想像上の昆虫達は、今日最初になんば高島屋で見てきた、河合晋平博物館とイメージ的にどこか繋がっているような印象もあったので、一日のうちに同時に見ておこうと思いました。
会場で作品について詳しく解説いただいて、作家さんですか?とお聞きすると、ギャラリーの方で、アーティストはこちらの方と言われ、最近のギャラリーの方は作家より多弁なんだと。などと思いつつ、作品群を見ていると、ずっと見つめてしまい、見飽きませんでした。
床に四角いボードが4枚分離して置かれていて、それぞれ四季をテーマに、採集された草花や種などが整然と博物館の準備室のような雰囲気で置かれています。その中に、よく見ると小さな不思議な昆虫が潜んでいました。それぞれ、採集された草花や種から作られているように見えて、実際にはそれらから樹脂で模られたピースでできていて、全てが人工物で構成されていました。
アーチャンは、以前から、くさい虫(かめ虫の事)が何故か好きで、よく絵に描いたりしているのですが、今日も壁にとまっている一匹の虫がそう見えたらしく、とても気に入っていました。特におしりに穴が開いているように見えたらしく、そこから何か噴出すとイメージした様子。
材料のように置かれた草花や種と、作品としての想像上の人工物の昆虫の関係を見ていて、ここでも少し、最近の廃棄物アートとの関係を連想してしまいました。
かなり以前ですが、淀川テクニックさんの展示を最初に見たのは、まだキリンプラザがあった頃、キリンアートプロジェクト2005でしたが、そこでは淀川で採集したゴミをそのままビニール袋にパッキングして、スーパーの量り売りみたいなテイストで、ざっくりと整然と置かれていて、まだ現在のような鯛のようなオブジェ化はされていなかったような記憶があります。そのような、イメージを構成する部品の由来を、一旦人工物の固有名や廃棄された場所の固有性によって、宙吊にして、ものの依って来たる由来を、それへの根源的な問い掛けを無効にするような、むしろ作品自体よりも、そのような方法論が前景化しているような印象があり、今日拝見した、新野洋さんの作品の展示構成の中にも、どこか類似したテイストがあるように感じました。
ただ、素材をそのまま使ってオブジェ化されていないこと、素材から模ったものを使って、素材を偽装するかのように使われている意味は何だろうと空想してみました。
おそらく、そのような模る作業を介することが、作家にとっての現実との強いフィット感を生んでいて、生の素材をそのまま使うだけでは得られない、世界との関係が生じているのではないだろうかと。そこには、二次元と三次元の中間体のような、断片化した現実を捉える、透明人間にペンキを投げかけて、その存在を露にするような、想像上の行為が含まれているように。

新野洋展
YODギャラリー
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