中平卓馬「キリカエ」展

sixのキュレーターの飯田高誉さんのtwitterに、展示の追加内容がリンクされていたので、南堀江の萬福寺花まつりと公園での花見の後、心斎橋まで散歩して行きました。
最初にお伺いした際に、丁寧にかつ熱く中平卓馬さんのこと語ってくださったギャラリーの担当の方が、今日も居られて、展示の追加内容や中平さんの大阪での撮影のドキュメントビデオを見せていただいたりしました。感謝です。
撮影場所が我家もよく行く場所であったり交通機関であったりレストランだったので、余計親近感がわいてきます。5月の連休前に再度その時の写真から追加展示されるらしく、もう一度来て最終の姿を見ておきたいですね。
今日の展示で追加されていたのは、正面奥の幅の狭い壁面で、最初は何も無かったところと、両サイドの手前側に何点か追加され、段組も変えてありました。
前回お伺いした際の印象として、揺れ動く動植綵絵のように感じて感銘を受けたのですが、それ故に、相国寺伊藤若冲動植綵絵を見た時の配列のように、正面に信仰対象としての釈迦像のような超越的な存在が置かれていないで、むしろ空白として抜けていたので、それも意図的なものなのかと思っていました。
でも今日、空白のままではなくて、追加作品として、白孔雀であったり様々な動植物などの写真が新に置かれていて、三面を使った空間を構成するような配列になっていました。
これは偶然でしかないですが、相国寺で伊藤若冲の動植綵絵を見た時に配列に違和感があったので、素人なりに自分なりに入替えて配列するという無茶な試みをした事があり、釈迦像の左右に置いてみた白い鳥のうち、右側に孔雀としてみたものと、今日会場での孔雀の位置関係が何となくフィットしていて、不思議な感触がこれは自分だけでしょうが、強く感じていました。
おそらく中平さんが、最近の自身の作品を植物図鑑のように例えておられるのは、そんな風に、見る人が自由に組替えて、その人なりのイメージや物語に置き換えて、ということが可能な方法としての写真を考えているからではないだろうかと、空想した。
それと前回でも気になっていた、空間座標系の揺れのようなもの、垂直軸がやや左側へ倒れて傾いているところについて、ギャラリーの方にも聞いてみたのですが、それが中平さんにとっては垂直であるかもしれないし、撮影時外から見ている限りにおいては、そんな風に傾いて撮っているようには見えないという事らしい。でも、左側の壁の追加された作品群は、どれも同じような傾きが生じていて、それが意図的なものなのか、生理的なものなのか判然としていませんでした。無意識的な傾きのような印象。

中平卓馬「キリカエ」展
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なぜ、植物図鑑か―中平卓馬映像論集 (ちくま学芸文庫)

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