霊柩車

少し前に淀川河川敷の十三摘み草園に行った時に、近くに葬祭会館がありアーチャンが宮型霊柩車を見て、その形が美しいので気になる様子で、最近毎日のように、霊柩車どこにあるのと聞いてくる。確かに感覚をピュアにして見ると、一番美しい車かもしれないし、興味を持つことも悪くは無いと思う(毎日聞かされるバーチャンは閉口しているが)
棺桶の中の様子もかなり気になるらしく、どうなってるのか繰り返し聞いてきたりする。ずっと聞いてくるとさすがにこちらも気が滅入ってしまうが、ひとつひとつ丁寧に答えるしかないね。墓参りの時に見るときもあるけれど、次行くのはお盆の頃だし、霊柩車見る目的でお墓とか葬儀屋さん家族で出掛けるのも気が引ける。アーチャンどこにあるか調べてというので、約束してしまった。それでひょっとしてどこかの博物館にあるかもと思い検索してみたら、やはり万博の国立民族学博物館に1台だけあった。問い合わせてみると、でも常設展示はされていないで、収蔵庫の中に置かれていて、研究者以外の一般の方には公開していないらしい。今後の展示の予定も今のところ無い様子。どこかで霊柩車の展覧会やらないかなとも思うが、とりあえず仕方ないので、国立民族学博物館のデーターベースの霊柩車の画像をプリントして、アーチャンに見せると、晩御飯の前に写して描いていました。

立体物を見るときに、その裏側がどうなっているか、とても気になる傾向があり、裏側は見えていなくても、以前見たときの記憶などと照らし合わせながら、展開図のように描いています。見えていない部分を無視するということがおそらく出来ないんだろうなと思います。この辺りの感覚については、最近読んでいる「自閉症現象学」(村上靖彦著)に詳しく書かれていて、とても興味深く、アーチャンの描く世界と精神面との関係につながるような事柄のヒントが一杯ありますね。
一枚の紙に二台描いていて、上の絵が屋根つきの宮型霊柩車らしい。一番右側に描かれているのが、写真からでは見えない背面の扉らしい。屋根も何とか描こうと格闘している。下の絵は屋根飾りなしの霊柩車らしい。画像の宮型霊柩車からこうやって、展開図的に描くところとても面白いですね。でも、裏側というか世界の全体像を常に意識して、裏側の存在を無視できない感覚は、生涯変わらないのか、そうであればとても苦しいことではあるまいかと思う。様々な関わりによって、その部分が和らいでいかないだろうか。

自閉症の現象学

自閉症の現象学