宮台真司&神成淳司共著「計算不可能性を設計する」を読む

図書館で借りてきて、拝読。
「計算不可能性を設計する」というテーマは、最近よく茂木健一郎さんが言われる「偶有性」についてのアイデアに近い感じですね。違いは、宮台真司&神成淳司さんのアイデアが、対談中でも明言されているように、計算不可能性をトップダウンに設計するというくだりかなと感じます。偶有性をトップダウンと言われると抵抗感じますが、でも、細かく読んで行くと、参考になる記述もたくさんありますね。
以下一部引用。

宮台:(前略)
ノイズやアクシデントを許容するアーキテクチャを設計する時、「期待通りのハプニングという非ハプニング」の逆説をどう脱パラドクスするかという大問題です。空間的な解決法と時間的な解決法とがあります。重要なのはもちろん後者になります。
(中略)
言い換えれば、設計者と非設計者との「不完全情報による非対称性」を断固維持するのです。しかし本当は不完全情報による非対称性があっても、アクシデンタルなことの「反復」は、非対称性を埋める完全情報化として機能します。アクシデントが続くべきだとしても、同じアクシデントの反復だと見なされないように、絶えずアーキテクチャを更新し、新たな地平を作り、先回りして期待を破るべきです。

このうち、「アクシデンタルなことの「反復」は、非対称性を埋める完全情報化として機能します。」というくだりは、とても難しい抽象的な記述ですが、もの作りについて考える際のヒントになりそうですね。貨幣経済も、そのような理解の延長上で捕らえると面白いのかもしれません。
僕が批判的に、かつ愛着も感じつつ理解している「具体美術」的なパフォーマンスも、この「非対称性を埋める完全情報化として機能」を、それが不可能であることを明示することを、唯一の表現としていると解釈できるのかもしれないですね。

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

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