天音堂からのお知らせ

お知らせメールいただきましたので、転載します。

★★★天音堂ギャラリーの山口平明です。
http://www.hjn.jp/
寒い。事務所も私の装束もまだ夏仕様。
でも次回展はもう明後日からなんです。
取り急ぎご案内いたします。
=====以下「電子チラシ041027版」です。
転送転載歓迎でおます。へ。

◆【高橋悟油彩展】takahashi satoru
●2004年10月29日(金)〜11月3日(水)
 12時〜19時  (最終日は17時まで)

《画歴…悟さんが油彩にいたるまで/福岡一恵》1967年3月、大阪市生野区生まれ

★幼少期にてんかんを発病する。発病前は「ママ」など言葉を発していたが、発病後は喋
らなくなり、しばらくして初めて話した言葉がテレビのコマーシャルから流れてくる製品
名「パンシロン」であった。

★以後、絵心のある母の血筋に本人の独特の世界観から生活の一部として絵がともにあっ
た。
★スケッチブックや広告の裏、その他描けるものなら回覧板でも本でも書類でも…とにか
く何にでも描いていた。観察力も鋭くて、鳩や虫など独特の描き方で表現する。会社の
マークや商品は音の響きのよいものを好んで音から絵の方に表現しているようである。

★彼のキーワードとなっているものの一つは「音」である。嫌いな音は赤ちゃん・子供・
犬。ただ苦手なものばかりではなく、興味をひく音も耳から入ってくる。だから、ゴロが
よくてリズムのあるコマーシャルに興味を持ったり、コミュニケーションも言葉遊びから
入ることが多い。

★他には臭いがある。落ち着かなくなると自分の脇や耳や鼻などとにかく体の部分を触っ
て臭いをかぐ。その様子はかなり忙しそうにみえる。

★現在の油絵にいたるまでは相も変わらず描けるものに描いて…と、グループホームの生
活のなかで、趣味というよりは日常というものであった。

★ところが、一人のヘルパー(りえ)との出会いがあって、趣味(好きなこと)として確立
し、作品を作り上げていく。そのころの経緯を当時のヘルパーの話からたどってみよう。
[ヘルパーは、りえからかずえを経て、今はエツオウが伴走者である。]
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★32歳★広告の裏に描いているものを見ていると、本人の目から見た世界の構図に驚き、
とりあえずいろいろな画材を購入。次々に使い始める。まず、12色の色鉛筆購入、そし
て、126色の色鉛筆購入。とたんにいろいろな色を使い、色を寒色・暖色に分けたりして
紙の上でも色を考えて使っていると気づく。紙の余白のバランス使いが上手なのでポスト
カードにも描いてみる。50円で販売することも…。クレヨンを購入。スクラッチをしたり
技法を考えたりする。
★33歳★120色パステル購入。パステルでもいろいろ試行錯誤して自分流の技法を楽し
む。ポストカードを作り、販売・公募などに出展。このころリビングなどに画材を置い
て、いつでも絵が描けるような環境にする。ポストカードをファイルし始める。よくファ
イルをみたり、同じように作品を作ったりする。やがてパステルに飽きてくる。
★34歳★油絵の画材を買う。いろいろな画材があるので、本人流があると思い任せてみ
る。最初はキャンバスにパステルを持っていってその使い方に戸惑う。貝砂と専用のりを
購入。それとなく置いておくと気になるようで、気づくといつの間にか使い始めていた。
のりで砂を練ってという作業が楽しい様子。そのうち色を混ぜ、砂絵をたくさんキャンパ
スに塗りどんどん重ねていく。ある程度「塗って重ねて」を満足すると、そのキャンバス
をこちらに渡して、新しいキャンバスを出してきて塗り始めるという流れになる。キャン
パスの大きさを変えたりしながら油絵に没頭し、次から次へ作品を制作する。
★35歳★このころから37歳の現在にいたるまで、毎週一回、ヘルパーも傍にいる小部屋
(アトリエ)で油絵を制作するというスタイルを定着させた。彼がこれほど長く一つの技法
を使って描くことは、今まで考えられなかった。大阪市生野区在住。

=====電チラ041027版ココマデ。