Home/format

ASYLの次にすみれ荘1階倉庫へ行き「Home/format」展を家族と観ました。
会場にコーディネーターされた鈴木寛和さん、出展されたmizutamaさん、吉原啓太さん居られ、詳しくお話が聞けたので理解が深まりました。
アートスペースジューソーでのmizutamaさんの展覧会で鈴木さんとはお会いしていましたが、今日の展覧会のもう一人のアーティストの東山嘉事氏(故人)のような過去のあまり広く知られていない作家やグループの研究を何故されているのか、よく分らなかったのですが、今日作品を拝見して、少し共感できたように思いました。
私自身も現代アートを知るきっかけになったのは、偶然拝見した福岡道雄さんの回顧展での作品群ですし、過去の作品であっても作品に本質的な深い思考や意識が感じられる時、現在の私たちと密接に関係してくる筈ですから、鈴木さんも同じ視点で過去と現在のアーティストを見ているのだと思います。
会場はメインの照明が無く真っ暗で、作品のみが浮かび上がるような設え。

吉原啓太さんの作品は、シルバニアファミリードールハウスが四方からのテンションの掛かったワイヤーで中空に吊られ、そこにマッサージ機のパルスを変換したライトがチカチカと点滅する仕掛。
等身大の皮膚感覚的には快適な筈のマッサージ機のパルスを、縮小されたドールハウスのライトの点滅に変換し視覚化すると、とても不安な現象として感じてしまう。
吉原さんのドールハウスを観ながら、私が仕事で関わっていたモデル作りの提出が偶然前日にあり、その形態やコンセプトとが、不思議にシンクロしているようにも感じました。

耐震補強工法「壁柱」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150926/work

私がお手伝いしたモデルでも(駆動部分のシステムデザインは米子匡司さん担当)震動のモーターはチェア型マッサージ機のモーターを転用したものですし、等身大の身体にとって快適な揺れが、縮小されたモデルでの巨大地震動として視覚化されています。
等身大の皮膚感覚的に快適であるものが、視覚に変換され縮小され
たモデルに投影されると、とても不快な現象となって見えてくる。

東山嘉事氏(故人)の作品はタブロー数点と廃材で出来た牛のオブジェでした。
有る意味でパッケージ(箱化)され衛生的で快適な都市インフラが下層に置かれ、上部には不気味な存在物が視覚化されている。その構図はこの展覧会で共有されているもののように見えてくる。

タブローは多様なものが滑らかに接続されている印象。
人工的なランドスケープでのキリストの磔図のような作品。聖者は汚物シンクに乗っかっていて、シンクの配管は地中に接続されている。都市生活においては配管のその先がどうなっていて、汚物がどのように処理されているのか、普段意識しなくても済むようになっている。上段はたしか流れ星のような牧歌的な光景。

黒い絵-1。下層にいくつかの箱があり、中には不気味な存在物が居る。中段にホルマリン漬けの胎児のようなガラス瓶。上段にたしか稲妻のような表現。

黒い絵-2。下層の草むら。飛び立つ無数のバッタ。

廃材でできた赤い牛のオブジェ。主に鉄の廃材で出来ているようで重い印象。

これを観ていて、以前、京都国立近代美術館で観た「生存のエシックス」展に展示されていた、テンプル・グランディン(Temple Grandin)さん考案の自閉症の人の為のハグ・マシンを連想した。(自身も自閉症の動物学者であるテンプル・グランディンが、屠殺場で牛を安心させる装置にヒントを得て、自身を落ち着かせる装置として開発したもの)http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20100731/art

これもまた牛は食べられる存在(快楽)であり、隠蔽される屠殺場であり、かつハグマシーンのようなプレス感に類似したような重量の表現なのかもしれない。

mizutamaさんの作品。
家庭用コピー機でコピー途上に蓋を動かして生じるノイズ絵のようなもの。トナー1本使い切るまで連続して同じ行為を繰り返し、プリントされたものは束ねて置かれている。
ブラックボックスのような箱(コピー機本体)と、プリントされていく多様なイメージではあるが、不気味な模様のノイズ絵との構図は上記の他の作品群とシンクロしている。
ここでは作り手の存在はほぼ蒸発している。