柴田精一「新作展」

KIITOマルシェから元町のギャラリー301へ、それから、こちらもmizutamaさんのTOKORO展で最後のトークショーに出席されてた、鈴木寛和さんがお手伝いされている、ギャラリーヤマキファインアートへ行き柴田精一「新作展」を見ました。

柴田精一「新作展」
http://www.gyfa.co.jp/
ギャラリーヤマキファインアートのwebより引用

最近思い描くことの多い、「立体のリアリティとドローイングのちから」であったり、ライフテーマにしている「顔/カオス」のような、意識と無意識や不安と安心とが分離されることなく、地続きになった世界と親和なイメージを強く感じました。
特に、女性の大きな顔のレリーフに烏が無数にとまる作品は、烏が近付いて観ると、折紙のようにエッジのある接合で出来た、半立体のようなものであることに気付きます。
それは鈴木さんと話をしているうちに気付いたのですが、比喩としての、ドラマのセットはカメラが近付いてセットとして場面が成立している時は破綻が無いが、離れて見た時に、その端部において、様々なカットや省略が施されていることに気付くプロセスと逆のパターンとなっていました。
絵画的な遠近法は有りえない空間や透視画法の焦点を描くことが可能ですが、立体において、リアリティの世界においては、平行な道路の端が無限遠において、一点に結び付く訳は無く、それらが混在することで、私達は不安でない世界をイメージできているのではと、連動して思いました。
それは柴田さんが描く(造形される)、顔のシンボリックな組み立て版のような作品群からも強く感じました。
信仰の無い祈りのようなイメージへと結晶していくような印象があります。