狩野永徳展

京都国立博物館にて狩野永徳展を観る。

狩野永徳
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html
京都国立博物館

知人からチケット二枚頂いていましたが、土日は混みそうだし、仕事終らせて、平日行ってきました。でも、観光地だし、他の人も皆同じこと考えたのか、入場まで130分待ちでした。
11時半に並んで、出てきたのが午後3時。脚は棒状態。展示室もたいへん混んでいて、落ち着いて観れる雰囲気ではありませんでした。大阪市立美術館のBIOMBO展の方は、質量ともに、とても充実しているのに、ガラガラでしたから、対照的ですね。
アーチャンのいきいき教室のお迎えが夕方の5時なので、帰路少し慌てましたが、ぎりぎり間に合いました。

激動の桃山時代を生きた画家である為か、多くの作品が消失したらしく、今まで本格的な展覧会が開けなかったらしい。最近、新しく狩野永徳筆とされるものが、いくつか発見されたらしく、様々な研究の成果もあり、開催となったようです。
でも、伝狩野永徳とされるものも多く、また永徳筆とされるものでも、諸説あるようですし、今後の研究で、覆ったりしないんだろうかと思いながら、祖父や父、兄弟、自分の子供達、工房の絵師によるものなど、狩野派のたくさんの画家の作品も同時に展示してあったので、狩野派の絵画を楽しむという感じで、見つめていました。
祖父の元信の英才教育を受けた永徳の10代の頃の絵,図版5 花鳥図押絵貼屏風を見ていると、とても几帳面に、写実的に描いています。たぶん、彼の感性は、リアルに目で見たものを描くという、ピュアなところが、ベースにあるのだと思います。でも、プロの絵師として生き抜いていくために、様々な現実にはあり得ないような描法を習得しなければ、受け入れてもらえないでしょうし、心の中で葛藤があったのではないだろうかと空想しながら見ていました。
二十歳過ぎに描いたとされる図版48 洛中洛外図屏風の、ヘリコプターから俯瞰的に見たような、おびただしい数の建築物にしても、おそらく実際には視点的に屋根の形状など見渡すことの出来ないものも少なくないでしょうから、アクソノメトリックパースの図法で描かれたと思われるし、屋根の勾配は、絵画として強調する為か、やや急勾配のとんがり屋根になっている。金雲による場面の切断と連結も、やや煩雑な印象を感じるくらい、相当苦労して繋げているけれど、近づいて細部を見ると、金雲であったものが、いつのまにか街路であったり、いたるところで、地と図の入れ替えや混乱が生じていて、夢の中でのイメージのようである。それでも、この辺りの作品は、まだリアルな作風に近いと言える雰囲気を感じました。
信長の肖像画、図版36、織田信長像(京都 大徳寺収蔵)の神経質そうな眉間の皺の描き方や、手の大きさも小さくデフォルメしないで、無理に強調しない描き方されていたりする。
作品の点数も少なく、晩年の図版67、唐獅子図屏風(宮内庁三の丸正尚館収蔵)のような安土桃山時代を代表するような、華麗で強烈な意匠を持った、空想の世界へと、どこからジャンプしていったのか、想像するのも楽しいですね。
おそらく、このような大プロジェクトともなれば、工房のスタッフ達との、構想も含めての協働作業が要請されるし、真筆であるか否か、展覧会の図録では、それぞれの作品に対して慎重な見解が繰り返し述べられているけれど、協働作業であることは間違いないだろうし、何をもって真筆であるかを断定するのかは、難しいところだと感じますね。
NHK教育TVの新日曜美術館での解説で、唐獅子図屏風の詳細な解説がされていて、専門家の方が、芸大での授業で、この屏風の大きさについて、生徒達に問い、獅子の大きさのバランスを、CG処理をして、比較検証されていましたが、この展覧会の図録の解説を読むと、もともと金碧画としてもっと大きなサイズの絵画であって、上下左右の図柄がカットされたのではないかと推測する意見が記述されていて、確かに周囲の岩や、樹木の中途半端な描かれ方を見ると、おそらくそうだろうと思われるし、そうすると、獅子の絵全体でのプロポーションも、また相当違っていたんだろうと、感じられますね。
僕も基本的に巨大な絵画を描く人は好きだし、「本朝画史」に記述されているという、「松や梅は十丈から二十丈(30から60メートル)にも及び」というくだりは良いですね。果ても無く続くような絵画を描いてみたいような衝動を感じる。

僕の好きな作家達は、狩野永徳(1543〜1590)の生きた頃と年代が連なってくるようだし、国は違うけれど、この時代、世界中が活気に満ちていたのか、もしくは戦乱に明け暮れていたのか、興味深い時代ですね。
僕の好きな銅版画家のジャック・カロ(1592〜1635)http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20050109/artも、多くの戦争画を残しています。同時に僕が最初に興味をひかれたゴッビ達を愛着を持って描いているところも好きですね。
prader-willi症候群の少女を描いた17世紀のスペインの宮廷画家のファンカレーニョ・デ・ミランダ(1614〜1685)さんhttp://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20051204/artは、興味を持って、いろいろ資料を探していますが、やはり相当ユニークな画家であったらしく、当時の国王達が近親婚を繰り返した為か、病弱な王が多く居たらしく、ミランダさんは、リアルな視線で彼らを描きつづけたようで、その表現を許した国王達がさらにユニークであったのか、王に周囲を威圧する力が無かったのか、ミランダさんの才能がそれらを超越していたのか、その全てが混交してできあがったような奇怪な絵画を描きつづけたようですね。
僕と同じように感じた人が、探すとやはり居て、著作もついに見つけました。詳しく読んでみたいですね。

怖い絵

怖い絵

著者の中野京子さんのblog日記
http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006
一部引用

さて、そしてフェリペ4世の子がカルロス2世だ。ベラスケスの跡を継いだ宮廷画家カレーニョ・デ・ミランダ描く彼の肖像画の衝撃たるや・・・

狩野永徳の描いたとされる織田信長像を見ると、おそらく忠実に、信長の意に添うように慎重に描いたような、繊細な雰囲気が感じられ、絶大な権力者を前にして、その肖像画を描く時、その画家の本質的なところが、とても露になっていくように感じますね。そこからのジャンプが、唐獅子図のような大胆なフォルムへと転化していったのでしょうか?