ミラノ展を観る

少し前に新聞屋さんから招待券頂いていたので、天王寺公園大阪市立美術館で、「ミラノ展」を観る。あまり期待していなかった分、リラックスして見れましたが、僕の知らなかった作家のもので、結構記憶に残りそうな作品もあり、後でじわじわ効いてきそうな気がします。
美術の技法や主義や、作家をテーマにした展覧会は、焦点が絞られていて、観やすいし、分り易いことが多いけれど、今日の展覧会のように、ローマ時代以降から近現代までの都市の歴史とアートというような長い時間を辿るものの場合、見る人の関心のありようによって、かなり違った印象のものになるだろうと思う。

http://osaka-art.info-museum.net/special017/special_milano.html
大阪市立美術館のHP 今日が最終日

今仕事で関わっているプロジェクトは昭和初期の文化財のコンバージョンのような作業なので、ミラノのような都市としての歴史が長い場所でのコンヴァージョンの作法を学んでみたいなと感じますね。
そして、そこに住んでみたいという欲求とともに、今日の展示物のなかでも異彩を放っていたセガンティーニのように自然のなかに神秘的なものを観るような、都市的なものから遠いランドスケープへの気分も同時にありますね。その両方を混ぜると大阪のような感じになるんだろうかと空想する。
セガンティーニ(1858〜1899)の白馬が走る絵の製作された頃は、まだ動画が開発されていなかった時代だった為か、両足が揃って走っていて、その姿が妙にリアルで頭に残る。人間的な画の持つ力は動画の及ぶところではないですね。
ダ・ヴィンチの「レダの頭部」のデッサンを観る時、アーチャンを抱っこして近くで説明すると、僕の頭を押して、絵と同じように頭を下げるようにしようとする。この断片だけ見ると確かにお辞儀している姿に見える。「こんにちは、て言うてる」アーチャンもペコリと真似る。