新宮一成、立木康介編「フロイト=ラカン」を読む

最近、徹夜続きなので、あまり本も読めていないのだけれど、図書館から借りてきたもの、気になる部分をひらい読み。

一部引用
「日常生活の精神病理学にむけて」(1901)において、フロイトはこう述べている。「私は外的(現実的)な偶然を信じるが、内的(心理的)な偶然性は信じない」私たちはもはや、このフロイトの発言にいささかも驚く必要はない。フロイトによれば、内的・心理的事象はすべて「無意識の動機による決定」を受けているのであり、ラカンはこれを「象徴的決定」という言葉で自分の理論のなかに完全に翻訳したのである。

知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)

知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)

僕が思っていた、具体美術協会的な、方法論についてのメモ=「非決定論的な人間存在をメタ認知する装置としての無意識的な機械的決定論的方法」http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20050708#artは、漠然とした詩的な想像でしかないものであったけれど、より明確に認識する手掛かりが与えられた気がする。ここを論理的に、かつ衝動的に乗り越えることができれば、新しいものつくりが、はじまるように感じる。