からっぽの色

うつぼ公園バラ園でランチした後、少し歩いてSAAというアートスペースに行き、以前なんばパークスでの「ボーダーレスのゆくえ」展(キュレーター山中俊広さん)で拝見した山本聖子さんのワークショップに家族で参加しました。

からっぽの色 美術家・山本聖子のワークショップ&メキシコミニレクチャー
http://saa-studio.com/post/128179281091/ysws
SAAのwebより引用

「ボーダーレスのゆくえ」展のすぐ後に、メキシコへ渡り1年間滞在されたそうで、このSAAさんが毎月いろいろな海外の国特集でイベントを組まれていて、今月がメキシコという縁で今日のワークショップとなったそうです。
「ボーダーレスのゆくえ」展の際にお会いしていろいろお話を伺った際は、とても不安げな印象でしたし、その時、私のブログに次のような感想を書いていました。

メガアート倉庫に家族で伺った時、山本聖子さんから、逆になんばパークスのワークショップに参加した人に話を聞けるのは初めてだしと、いろいろ聞いてこられたのと、かなり今回迷って悩んだ状態から、あのような建築の間取りをハサミで切り刻む方法を見出して解放されたような気持ちになれた事、それをワークショップで試そうとした思いなどお話いただいた。
作品の整然としたク−ルな印象からは予想外なお話と感じたし、主観的な感情的なモードを強く持ち込んだ作業ということも理解できました。
他の作品も思い返してみると、その点は共通しているのかも知れない。
誰かが作り出した事物に関り変形を企てつつ、アーティスト固有のバイアスの掛かった視線は存在している筈だけれど、どこか希薄で、蒸発してしまったかのようなそんなイメージが残る。しかしそれは未来に向けて必要な資質と感じる。そう信じたい。

「ボーダーレスのゆくえ」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130321/art

最近、face bookに知人がSAAさんの情報をリンクされたので、それで今回の情報を知り、2年前の山本さんからは予想外な展開されていると感じたし、どんなワークショップされるのか、内容もよく分らないまま、参加してみました。

ワークショップは山本さんが選ばれた
からっぽ(Empty)に関わるいくつかの、ランダムに配列された言葉を読んで感じた色を選び、平面で色紙などを用いて表現し、その後で何故その色を選んだか等のインタビュー映像を撮影するという流れでした。

アーチャンには少し難しい課題で、言葉の意味の理解自体が出来ないので、自由に描いていました。
アーチャンがこだわっている霊柩車を描いていましたが、ワークショップの前に、メキシコの死生観の独特さや葬儀で子どものデスマスクの写真撮ったりする風習などお話があったので、感覚的にはとても強くシンクロしていたのかもしれません。

参加者は男性3名と女性2名(SAAの方)と我家3人の合計8人でした。
男性陣は次々と完成させ別室でのインタビュー(別室といっても、2階の階段室に立ってでしたが)を済ませていきました。

カーチャンは白昼夢を見た時の気持ちの悪い光景を思い出したらしく、それを描いていました。

私は3個作りましたが、結局最初に描いたものを選びました。

最初、言葉をランダムに配列した紙を観た時、言葉の意味よりも配列自体が面白く、サッカーのフォーメーションを連想しました。しかしよく数えてみると13個あり、サッカーの11個とは違うと気付きましたが、最初の印象で良しとしました。そこからピッチの芝生連想しgreenを選びました。
20代の頃、サッカーのレフリーよくしていたので、対角線審判法を図式化し、13個の言葉になぞらえた小さなスパンコールをはさみで切って、ランダムに飛んだ後をテープで留めました。偶然、オフサイドの判定の際に見えてくる、4個程度の視覚の高速処理可能な数(スービタイジング)にグルーピングされた配列になって面白いと思いました。
サッカーの対角線審判法の経験は、その後、私のライフワークというかテーマのような「意識は生き延びる為に瞬間的に世界を分離し、無意識はそれを緩慢に結合する」というイメージになっていきましたし。
(左上の白い紙片はアーチャンが横からちょっかいを出してきて、これを使えと置いたのでそのままテープで留めました。)
2回目は言葉の意味をじっくり読んでからblackを選びました。人生の途中で一旦目を閉じてリセットするようなそんな印象があり、印象的な7個の言葉を選びました。(これは画像なし)
3回目は最近興味を感じている箱から、blueとしました。
私たちの社会はほぼ全てがパッケージされ、あらゆる闇の部分はそのパッケージによって隠蔽されているとイメージしたので。(これも画像なし)

その後、参加者の自己紹介兼ねた作品の説明をしました。インタビュー映像含めて、これらは山本さんのリサーチとされ、将来何らかのかたちで展示等されるかもしれないそうです。
第二部のレクチャーもスライド交えてとても興味深いものでした。
メキシコでの生活を経て、同じ言葉から感じる意味が民族や個人によって、大きく異なってくること、そこへの興味を継続されていくようです。
山本さんは。「からっぽ(Empty」に白を感じるそうですが、メキシコの人たちは黒を感じることが多いそう。
メキシコの印象も明るいだけでなく、過去のスペインによる支配の300年間と混血の歴史が人々に強い影響を与えているのではと。(日本のように他国の強い支配を受けず独自文化を長年継続してこれたのは稀な事で、海外の人から観ると、私たちが感じていない、日本人の強さみたいなものを感じているのではと)
メキシコでの経験が、現在の都市に生まれ住み続けてきた山本さんにとって、大きなインパクトとなった様子。
なんばパークスの頃の不安そのものは、アーティストとしての本質的な大事な部分だろうし、それは今も同じなのでしょうが、不安自体をメタな視点で捉えている感があり、作品自体の大きな転換に繋がっているのではと感じました。
長時間に渡り丁寧なサポート感謝です。