どうぶつたちの映像作品をつくろう

午前10時から、天王寺動物園にて、映像ワークショップに参加しました。9組参加。今年もいろいろなイベントやワークショップに参加させていただいて、アーチャンの刺激となりましたが、今まで描いたり作ったり、動物達に触れることなどを主に選んでいて、映像系のものはまだ少し早いかなと思っていました。でも、このところの我家のテーマとして、生き物との触れ合いとアートを一緒に経験したい、というのがあり天王寺動物園でのワークショップという事で申込みました。

動物園×映像ワークショップ『どうぶつたちの映像作品をつくろう』(申込み要)
日時 : 11月29日(土)・30日(日)
主催 : 大阪市/コンテンポラリー・アート事業実行委員会
企画運営: NPO法人 記録と表現とメディアのための組織〔remo〕
http://www.jazga.or.jp/tennoji/schedule/index.html
天王寺動物園のHPより
http://www.manabi.city.osaka.jp/Contents/lll/kouza/inview.asp?CONTENTNO=30361

最初に企画運営されているNPO法人記録と表現とメディアのための組織〔remo〕さんの代表の甲斐さんから、丁寧なイベントの主旨とビデオカメラや三脚の使用説明がありました。

メディアと一口に言っても多様なジャンルがあり、例えば言葉の場合、小説、法律、報道、etcとあり、それぞれの分野の表現技術がある。映像の場合も同じ。最近ではビデオ句会のように、作品の撮り合い、見せ合いのワークショップも盛んになっている。
映画の誕生は、リュミエール兄弟による1895年のフランス・グランカフェでの有料上映会が始りとされている。(ここで、その際上映されたリュミエール兄弟の作品のうち2作品を上映)
一つは、彼らが経営していた写真の現像液製造工場の門から出てくる人々の作品。もう一つは、汽車の到着の場面。当時の観客は実際に汽車がスクリーンから飛出してくると思って飛び上がるほど驚いたそうだ。(ここで、甲斐さんから作品がどのような意図を持って撮られたのか解説があり、1分ほどの今から見れば普通の光景に見えるようなところにも、様々な意図が込められている)
今日のワークショップでは当時の技術の限界と同じ条件で撮影し、撮影後に上映して皆で鑑賞。当時の技術の限界と同じ条件で撮影した作品をremoscopeと呼び、6つの条件付けがされている。

1、最長1分間
2、固定カメラ
3、無音
4、ズーム無し
5、無編集
6、無加工

世界中で同じ条件で撮られた作品がネット上などで公開されていて、現在では約1100本程度あるらしい。そのうちのいくつかを上映。また昨日の動物園での撮影会での作品も上映。小学生から高齢者の方まで様々な人が参加されていて、ユニークな映像が撮れていました。
その後、機材の説明の後、撮影会開始。午前と午後と昼食はさんで二度撮影会と上映会開催。

さて、我家はアーチャンが撮りたいと言ったものを撮るという事にしました。以前小学校から天王寺動物園に写生会で来た時にフラミンゴが気に入ったらしく、描いていてhttp://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20061019/artanart今日もまずフラミンゴから見に行きました。ほとんど、ここ撮れワンワン状態で、逆光とか関係ないので、ちょっとつらい映像に。おまけに固定カメラという条件なのに、onoffのスイッチ役担当させたので、とにかく押したがり、カメラを守るのにワーキャー状態になり、おまけに今日はとても混んでいて、小さい子が突進してきたりと、ほぼカメラを守る人になっていた。最初にアーチャンの目の高さから撮り、次に僕らの目の高さのアングルで撮りましたが、あまり変化はありませんでした。動物の姿に対しては典型的な見えの感覚があってアングルが多少変わってもこちらの感覚が補正されて同じに見えるのかもしれません。
午前中はいろいろ撮りましたが、上映会は1作選んでタイトル付けてという事で、アーチャンに聞くとやはりフラミンゴということで、タイトルもフラミンゴ。カメラ押すので画像は少し揺れている。他の参加者さん達の作品は皆さんそれぞれ意図を持って、撮られていてユニークなタイトルと内容のものばかりで面白かったですね。我家のはアーチャンの希望したところにカメラ置きました、撮りました、みたいなもの。(悩まなくて楽チンであったが)
でも動物園の担当の方から、映っている動物の生態などについて専門的な詳しい解説があり、そこのところはより理解が深まりよかったですね。フラミンゴの場合、エサの色素の作用によりあのような鮮やかなピンクになるというのは雑学的に知っていましたが、よいきれいに見せる為に、エビとかカニとかあげたりする時もあるそうです。我家の撮った映像がきつい逆光で、せっかくのフラミンゴのピンク色が消えてほとんど白にしか見えなかったので、補足していただいたようです。
昼食後、ほぼアーチャンの集中力はなくなり、グダグダと普通に動物園に遊びにきた親子と化し、撮影はほとんどしませんでした。鹿のエサやり、午後二時からの北極クマのゴーゴちゃんの四歳のお誕生日会http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081130/trd0811302048015-n1.htmで生鮭プレゼントのところ抱っこして見せたりして腕は筋肉痛。
それで午後からの上映会は、結局午前中に撮った、白いツルの仲間の映像にしました。これは近づいてきた一羽がドジョウ見つけてくわえて食べようとして、つかみそこねて溝に落して、どこに落ちたか?とキョトンと探しているうちに、横から別の一羽が横取りしていくという偶然撮ったシーン。僕はカメラ守る人状態で、横向いて見てなかったけれど、妻子はその場面みて大笑いしていた。とにかく楽しい時間が過ごせました、感謝です。撮影した映像は後日データーを送付してくださるそうで、重ねて感謝です。

帰路、再び元気を取り戻した妻子とともに動物園内を散策する。手持ちのデジカメで今日のremoscopeの6条件の感じで撮ってみた。三脚は無いから微妙に揺れていますが、音声を消すとだいたいこんな感じと思います。動物の姿はいくら見ても飽きないですね。

remoscopeについて帰路思ったことなど。
僕が好きなアーティストの作風は、どちらかと言えば動画の無い時代に何とかして平面作品で工夫して動きの感じを伝えようとしたのではないかと思わせるものですね。古い時代ではジャック・カロの銅版画であったり、映画発明の直前の時代を生きた作家達、特にゴッホのようなタブローなど。あまりそのような評価をしている評論は僕は読んだことないけれど、作品を並べてみたときに感じる動き感が好きですね。それとさらに好きなのが、動画の技術が開発された後にでも、動画発明以前のような感覚でもって、それを引きずるように作り続けた人々で、モンドリアンも僕は好きですね。誰かそのような評論を書く人が居ないかと思うし、機会があるごとにいろいろと資料をさがしたりしている。
今日のremoscopeでも、映画発明の時点の技術に立ち返ることで、動くものを捉える、見ることの出来ることの喜び感が余計に強まるように思いました。