Art Court Frontier 2008 #6

桜ノ宮の川沿いにある、アートコートギャラリーにて、Art Court Frontier 2008 #6を観る。暑い一日、妻子は某所へ別行動だったので、僕は観ておきたかった展覧会へ。
評論家やアーティストが関西の若手アーティストを、一人一作家ずつ推薦しての展覧会。20代から30代の作家達は、皆さん、とても分かり易いコンセプトを添えていて、作る姿勢に共感できるところがありました。難解なテキストをあえて書いて、作品世界を切り取るようなプレゼンされる作家より、僕は個人的にこの展覧会の作家さん達のように、様々な関係性についてそれぞれの置かれた環境の中で、近い世界を注視している姿勢のほうが好きですね。

Art Court Frontier 2008 #6
http://www.artcourtgallery.com/exhibition.html
アートコートギャラリーのホームページより

印象的だった作家さん

稲垣元則
ドローイングと写真、およびそれらをミックスした作品群。制作年代は、かなり以前に製作されたものも含めて、2千点ほど制作されたドローイングのなかから選ばれたらしく、過去に制作したものと、新しく制作されたものとが併置されることで、作品の始まりと終わりについての取っ掛かりのようなものが曖昧になり、意識が目の前の作品に集中できるような意図が盛り込まれているように感じました。併置される写真のイメージが、微妙に重なる指や、頭を触れ合う大型動物など、最近自分の子供が描く絵画や、同じprader-willi症候群の患者さんたちが描く絵画にも共通して見えてくる、重なる部分を描かない(もしくは描けない)認知のあり様に、興味があり、重なる像を描くこと即ち、認知の壁を乗り越える一歩になるのではないかと推測しているので、作家さんが、どのような意図で、そのようなイメージを併置されているのか、とても知りたいと感じました。

大西正一
車窓からの連続写真。何の変哲も無い印象の、車窓から見えてくるランドスケープ。作者の思いは、人間の認知能力の限界として、断片化したランドスケープを経験の流れの中に埋めていきながら、けっしてたどり着けない世界の全体像を夢見ることなく、断片のみで構成されていく世界が、それが不安な世界ではないことを、力み無く表しているように感じられました。

林勇
操作することなく勝手に動いているゲームソフトのようなもの。入口も出口も無いような地下空間が延々と繋がっていて、サラリーマンみたいな人物が、終わり無く動いている。