芝高康造展「ボッティチェリをほる」を観る
僕の銅板画の先生の芝高康造さんの個展が信濃橋画廊5で開かれていて、今日が最終日でしたので、お伺いしてきました。先生も在廊されていて、少しお話もしました。
前回、天野画廊での個展http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20071124/artのテーマの延長上にあるような作品群。信濃橋画廊5´には、その時の「本」が置かれていて、改めて、この独特の狭いスペースで見ると、物質感が迫ってきます。ボッティチェリの絵画の写しをテーマに、全体性を失い、断片化した作品群は、「本」という経験の形式にゆるく統合されている。
ボッティチェリの絵画であることを指し示す手足の断片の線描の銅板画は、先生独自の工夫による幅広のビュラン(線刻用の道具)による柔らかな描画となっていて、またそれらが、重ねられたり、回転して、同一の版であることが見るものには判別できないものとなっている。
描画の表面と裏面や、立体の各面を同時に知覚することは、人間の知覚の能力の限界から不可能であり、世界の全体像もまた、私達には断片を通じてのみ認識されていく。なおかつ、それが不安な世界ではなく、とても心豊かなものであることを、静かに語ってもいるようだ。