授業参観

午後、小学校で授業参観。三年生になって初めての参観日。教科は算数でした。去年までは、通しで、たんぽぽ教室の先生がサポートしてくださっていましたが、3年生からは、去年も何回か先生方とのミーティングで、お話いただいていましたが、サポートは少なくなるようで、今日も授業の後半の後半くらいに付いていただきましたが、算数は特に理解できていない様子なので、普通クラスでの授業は、そろそろ限界かなと感じるところがありました。
今日の課題は、時計の時間の数え方でした。先生が持つ大きな時計のモデルを見て、それが何時何分かを当てたり、逆に何時何分という問いを、手許に配られた小さな時計のモデルの針を動かして当てたりしています。
アーチャンは、昨日家で宿題のプリントで、同様の課題取り組んでいて、僕がサポートしてやったのですが、ほとんど理解出来ていなくて、教えてもいろいろ決まり事がよく分らない様子で、ちょっと無理な感じだったので、とりあえず答えを教えつつしていったので、今日の授業も答えることは出来なくて、隣の席のお友達が、その都度サポートして答え教えてくれました。ありがとうね。でもこのままずっとという訳にもいかないし、参観の後の懇談会でも、その辺りについて、先生と少し話し合いしてみました。お話では、今日は緊張していたのか、解けていなかったけれど、前回の授業では、何とか解いていたので、との事でしたが、家での様子見ていると、理解して内容が定着している様子ではなかったので、何とか時間掛けてでも理解させた方が良いのか、もしくは、ある程度のレベルを設定して、そこを確実に定着することをしてあげるべきなのか、そろそろ検討の時期のように思います。
時計の短針と長針の指す文字によって、1が5であったり、6が30であったり、という読み替えが理解出来ていないし、短針と長針の区別の意味もあやしい雰囲気。
でも、先生のお話では、現実の場面で、時計を指差して、時間がきていること知らせたりと、時計をどう使うかという応用面については、理解できているようなので、その面を期待されているようでした。
授業でも、課題に対して、お友達が先生に時計を掲げて見せているのを見て、答えを視覚的にキャッチして、それに自分の時計を合わせるという、要領が良いと言うのか、生きる為に懸命としか言いようがないような場面を見て、普通であれば、カンニングしたらあかんやん、としつけるべきでしょうが、この子の場合は、とりあえず、悪い面は悪い面として、しつけつつ、そのような反応の中に、生きる力、みたいなものを認めてやり、生きる力の部分をうまく適応できるように、関わってやりたいと感じました。
懇談会でも同様のお話させていただきました。

これは教室に掲示してあったアーチャンの描いた菜の花の絵。他のお友達も同じ課題の絵を描いていて、お友達はみんな表現力も変わってきて、よく観察して、リアルな表現になっていました。アーチャンはでもゆっくりと変化している様子で、楽しい雰囲気の絵を描いています。