知的障害者、地域で生きる(夕刊読売新聞10月24日号7面より)

東京のあるセミナーで「福祉の対象」から「主体的に生きる存在」へと
脱皮するための様々な課題が指摘された、と記事にあります。
主催団体あまりよく知らないので御名前は記載しません。

僕達家族にもそろそろ考えないといけない時期がやってきた。
でも、何年も前から同じようなタイトルの同じようなセミナー各地で、やってるような気がするんですけど。なかなか進まないんでしょうね、日本では。待っていても仕方ないから、僕も少しずつアクションしていこうと思います。

あんまり関係ないかも知れないけど、とりあえず天王寺美術館にエレベーター設置するよう要望書を市役所へ送ろう。先週、円山応挙展観た時、娘生まれてから初めて天王寺美術館行ったから驚いたんだけど、エレベーターとか無いんですね。幼児用車椅子も普通のベビーカーも区別つき難いから他の並んでた御客さんの視線も痛い。ガードマンさんにヘルプしてもらって入場は地階に下りてからドデカイ荷物用エレベーターで入り口へ案内してもらい、帰りは正面階段からサポートしてもらい担いで降りる。僕達夫婦はアートのこととかやってるから、ヒマだし、パフォーマンスみたいで楽しいけど、大多数の人にとって、行きたくなくなる要因ですね。

美術館の中でも、ほぼ全ての係員から「ベビーカー畳んでください」と言われ、その度に「これは幼児用車椅子です」と説明しないといけないし。デザインされた美しく、また幼時向けにかわいい車椅子でも良いではないか?
だいたい何でベビーカー自体入場駄目なのか?保育室も無いのに赤ちゃん連れて、気楽にアート見れないんかな?抱っこして落ち着いて作品見れませんよ。
以前にも京都に「ダビンチの白テンを抱く貴婦人」観に行った時に、ベビーカー駄目と言われ、2時間近く抱っこして、もう腕限界や!という感じでした。
それは係員の責任ではなく、そのような人達が居て、健常者と同じように楽しんでもらおうという、意識が運営側に欠けているという事なんだ。
僕も娘できるまで、そういう意識あんまり無かったから、偉そうには言えませんけど。

それと日本で一番欠けてるのは、「楽しむ」という部分じゃないかな?
ニューヨークのメトロポリタン美術館とか海外の美術館ではコートクロークあるよね。冬寒い時、入場して、館内は暑いから脱ぐ。そのまま持ってたら特に高齢者には重くてつらい。自由に見れない。日本の美術館は、その点あまりにも貧しい。
ショップも貧相だし。パンフレットを折り畳み机に並べるんじゃない!あんた達はフリマか?(すいません)

円山応挙の歴史に残るような展覧会なのに、外人さんの姿も無く、行政の人達はメッセージ発信する気とかないんかな?と思う。

公園の中の不法占拠のカラオケ喫茶退去の為もあって、園路の整備工事するらしいけど、その前に、するべき事あるんじゃないの?と素朴に思う。「地域で生きる」というのは、そういう普通に楽しい日常がバリアなしで出来るという、普通感覚から始めたいな。ア然とする部分多いだけ、やりがいもあるというもんです。そう思わないとやってられない。