アクセスアーツフォーラム大阪

具体的な実践活動の報告中心でしたので、楽しく、そして学ぶ点がたくさんありました。

プログラム
●問題提起  播磨靖夫(財団法人たんぽぽの家理事長)
●実践報告

実践報告①
「コミュニティ・アクション−オーストラリアのアートNPOとの交流プログラム」
柴崎由美子(たんぽぽの家アートセンターHANAプログラム・ディレクター)
山野将志(アーティスト/たんぽぽの家アートセンターHANA所属)
実践報告②
・「知的障害者、音楽家音楽療法家で創る舞台−音遊びの会の取り組み」 
沼田里衣(神戸大学博士後期課程
実践報告③
「絵は言葉で伝えられるか?−見えない人や見えにくい人との美術鑑賞の試み」
光島貴之(造形作家)
塩瀬隆之(京都大学大学院情報学研究科助手)
ミュージアムアクセスビュー
実践報告④
 「『さあ、トーマス』という試み−知的障害のある人とつくる新しい音楽」 
中川真(大坂市立大学大学院文学研究科教授
質疑応答

フォーラムの記録

●問題提起  播磨靖夫(財団法人たんぽぽの家理事長)
障害のある人のアートへのアクセスの為の、データーブックが発行され、それを記念して今回のフォーラムが全国5ヶ所で開催される事となった。たんぽぽの家のアートセンターHANAの活動として、アートレジデンスの国際交流も始まった。昨年オーストラリアで二名が滞在制作を行った。
アジアの国々の障害者の為のアートセンターとの交流も深めている。昨年訪れた上海の障害者の為のアートセンターは街の真中にあり、規模も大きく驚いた。韓国では大学の研究テーマとして、社会問題の解決にアートを活用する試みも行われている。
過去において、日本ではマイノリティの文化を排除してきた歴史があり、障害者のアートも福祉とリンクして捉えられてきたので、その価値を低い物として見られてきた。社会的なイメージアップとともに、兵庫の震災等により自信を失った市民の活力ともなるものへと、エイブルアートムーブメントの活動を行ってきた。
障害者にとって、出来ない事を悔やむより、出来る事に集中していくなかで、周囲との信頼関係も生まれ、その気持ちが障害者の体や心に刷り込まれると、アートにも反映されていく。
日本人は遊ぶ事への罪悪感のようなものがあり、これは労働というものについての価値観の見直しが必要ではないか。障害者のアートが、それが仕事として、職業として成立するだろうか、ということについて考えていきたい。

実践報告①
「コミュニティ・アクション−オーストラリアのアートNPOとの交流プログラム」
柴崎由美子(たんぽぽの家アートセンターHANAプログラム・ディレクター)
山野将志(アーティスト/たんぽぽの家アートセンターHANA所属)

山野さんの自己紹介:12年間のいろいろな活動を山野さん御自身が語られ、その言葉から、もの作るの好きそう、という感じがとても良く伝わってきました。

昨年のオーストラリアのアートnpoとの交流プログラムに参加されたことで、それ以前、参加中の出来事、それ以後の彼の変化について、映像を見ながら、柴崎さんと山野さんの報告であり、楽しいトークのような、それ自体が一つの表現と言えるくらい、楽しく感じるものでした。
1、イベント以前
アートセンターHANAには35名のアーティストが居て、オーストラリアの交流に参加する代表を2名にしぼり、山野さんはその一人に選ばれた。その事を伝えると、こちらの気持ちとしては、きっと喜ぶだろうなと想像していたら、最初は、あっさり断られたらしい。イベントの時期がちょうど彼の地元でのだんじり祭りと重なるようだ。だんじりは彼の一番の楽しみだから。でも施設としては彼に参加してもらいたいので、いろいろなイベントとか計画して、気持ちを盛り上げていった。
6月に個展、ギャラリーを訪れる方に、彼自ら解説をしてくれた。ライブペインティングの試み、しかし気持ちが乗らず、最初はうまくいかない。やはり彼のペースでいかないと駄目と気づき、原点である自然の中でのスケッチを行ってみる。TV局の取材など。制作風景をオーストラリア側へネット電話使って伝える試み。オーストラリアについての勉強会。支援の為のチャリティーコンサートの開催など。結果本人も乗ってきて、ライブペインティングも13日後には完成した。

2、オーストラリアにて
オーストラリアのアートnpoのアクセスアーツは1983年設立、スタッフとして多くの障害者を雇用している。
到着後2日目には粘土によるワークショップに参加。彼らの要望で「聴」という漢字を描いて、それをスタンプにして展示に利用していった。
しかし五日後、日本語が通じない為、ホームシックに掛かったのか、大泣きしたいと訴えてきた。ネット電話で日本のたんぽぽの家の仲間達と話して回復、その後現地の交流会で歌をうたい、一見叫んでいるように見えるけれど、何とか現地の言葉でコミュニケートしようとしていて、そのことがきっかけで、現地の方々とも打ち解けていった。
楽しみにしていた動物園訪問、その後たくさんの動物の作品を制作。ホームステイして楽しい時間等の紹介。アボリジニ達の文化との交流など。
3、オーストラリア訪問以後
造型に変化が現われてきた。自分の感情を抽象化して表現し始める。
TV番組「Theサンデー」の背景画に採用され、TVにも生出演。
アートを通じて生きることが認められ始めた。
養護学校ファシリテーター役を務める、大きな絵を描く。
和歌山での街作り企画に参加、壁画作成、大阪の病院内の壁画制作など、障害のある人のコミュニティアクション、作品の発表が周囲や本人自身も変化していく。反響を自身がとりこんでエネルギーになっていく。

実践報告②
・「知的障害者、音楽家音楽療法家で創る舞台−音遊びの会の取り組み」 
沼田里衣(神戸大学博士後期課程

(音の海は、去年、アーチャンのお友達が参加されたので、僕達もコンサート聴きに行きました。残念ながらお友達は昨年亡くなられましたが、その時の笑顔と音楽は今も心に響いています)

ライブの記録鑑賞しながら解説。
大学で音楽療法の実践を六年間行ってきた。障害者との、音を介してのコミュニケーションには、思いもかけないような、やりとりがある。彼らは独特なコミュニケーションの方法を持っていることが分ってきた。その経験から、音楽療法の中だけでは、もったいない、舞台で表現したいという思いが生じてきた。知的障害者13名と即興音楽家によるワークショップの開催を試みた。音楽家は障害者の作り出す音に新しい価値を見出し、知的障害者は舞台に出る喜びを感じ始めた様子で、互いに影響し合い、保護者達の感想も、子供達が自信を持ち始めたことを感じている。このような試みから、新しい音楽言語が見えてきた。

実践報告③
「絵は言葉で伝えられるか?−見えない人や見えにくい人との美術鑑賞の試み」
光島貴之(造形作家)
塩瀬隆之(京都大学大学院情報学研究科助手)

ミュージアムアクセスヴューの試みの解説。
目の見えない人/見えにくい人と一緒にアート活動を楽しむ試み。
具体的に絵画鑑賞会のやりかたを、舞台で実演。モニターに岡本太郎の1950年代の「重工業」というタイトルのタブローが映し出され、塩瀬氏がそれを逐次言葉によって光島さんに、やりとりしながら伝えていく。
塩瀬さんは、学生さんに観賞用の抽象画を依頼したらしいが、出てきた絵がとても説明しずらい難解なシュールな表現だった為、四苦八苦されていた。それはそれで面白かった。時間の制約で5分くらいでまとめられたが、普段は15分くらいは掛けて、目の見える人二人でサポートするらしい。
大きさは206×266cm
縦長?横長?
横長です。
真中より左側上に歯車がある。
上から見て時計回りに傾いている。黄色い人が5人くらい廻っている。(それぞれの向きも説明)
角度はどんなくらい?
時計の1時2時くらいの方向。
全体は暗い工場の中。
鉄の橋のようなハシゴがある。まっすぐではなく、右へねじまがっている。倒れそうな煙突。
青ネギがあります。
どの辺りにありますか?
歯車の下、空中に浮いたような感じ、加工されて、お菓子のキノコの山みたいな形になって、トンネルに突き刺さる。
右下の人物のお腹が裂けて、赤い火花が出ている。
ここで会場の方にもサポート依頼。
全体として青いオーラのようなものに包まれていて、寒そうな印象がある。

塩瀬氏の専門分野は情報学、ロボット、コンピューター工学。ミュージアムアクセスビューへの関心は、そこにコミュニケーションの原点が学べるのではとの思いから。
ロボットが美術鑑賞できるか?という問に対して、イメージ画像としてのレベルでは、ロボットの方が正確に捉えている。
ミュージアムアクセスビューに参加して、言葉で見る美術鑑賞によって初めて絵を見たような気持ちになった。また相手の方の得意分野や経験の中でよく知っているアイテムを探り出して、そこを頼りにふくらませて説明していく。
会場での実験
モナリザの微笑みをモニターに映し出す。
次に以下の質問。
モナリザの手はどちらが上にありましたか?右手か左手か?
髪型は真中分けか、七三か?
服は長袖か半袖か?
テストしてみると、確かに曖昧にしか見ていないことに気づく。
さっきの岡本太郎の絵のように複雑で難解なものでも、言葉で見る方法を通すと、思い出すことができる。
視覚障害者のアートへのサポートとして、様々な方法がある。例えば絵画をレリーフ化する方法等。
光島さんはレリーフの体験は?
モナリザの微笑をレリーフ化したもの触ったことがある。
形はよく分った。首から胸にかけてひろい印象。でも触って悩んでしまった。絵としての感動が無い。言葉で見る絵画鑑賞の場合、サポートしてくれる人と一緒に絵画を作るという感じがある。
最後に
塩瀬氏:最初のサポ−トの時、見終わってから自然に感謝の言葉が出た。福祉ともボランティアとも異なる、相互に学びを得る機会だ。見終わったとき、新しい経験が出来て、互いにありがとうと言える場になっている。
光島氏:絵を一緒に見ている、サポートしている人が何かに気づく瞬間があり、その瞬間を共有できる喜びがあります。

実践報告④
 「『さあ、トーマス』という試み−知的障害のある人とつくる新しい音楽」 
中川真(大坂市立大学大学院文学研究科教授)

ガムラン音楽を通じて様々な演劇的な実践の試み。モニターに「エイブルアート・オン・ステージ」の様子が映し出され、解説。
協働で作品を作る時に決めていること。
1、 教えるというスタンスは取らない
2、 二項対立から逃れてボーダーゾーン、グレーゾーンに居よう
3、 あらかじめストーリーは決めない、即興的に作る
「さあ、トーマス」の試みは、社会における共有地を増やす試み。公有地と私有地の中間にあるような、山にはよくある共有林のようなもの。しかし、共有地の悲劇の例えのように共有地の許容値以上に入れてしまうことがある。悲劇を避けるためには、レベルを上げるか、共有地自体をひろげること。
アートとは接触文化だ。現状の限界を超える為に様々なメディアのサポートが必要。関西の美術館では、エイブルアートの展覧会が開催されたことが無いのでは?枠を広げる活動が必要。

質疑応答
Q1:精神障害者の患者さんサポートされている方。精神障害者の為のアートの活動について現在の状況?
A1:播磨氏:
アビココーヘイさんの試み(記録やドキュメンタリー映画
茨木の黒田病院。
北海道のアートキューブ。
サガキョーコさんの舞台計画。
高知のオダさんの試み等、少しずつ増えてきています。

Q2:光島さんが制作されていて気持ちの良い時は?山野さんは自分の作品で好きなところ?
A2:
光島さん:ライブペインティングの時。今はあまり描けない時期。
山野さん:いろいろな野菜、建物(具体的に名称を順に答えられた)

Q3:一般的なアートレベルの障害者のレベルを上げる方法?
A3:
柴崎さん:本人が制作の動機をどのように持てるのか、サポート側としては、アーティストとの交流、メディア、本の出版等、専門領域を活かす事。
沼田さん:場をどんどん作り、広く認知してもらうこと。
播磨氏:(上記お二人の発言を受けて)障害者本人がまず「安心する場」を作る事が大事。
(例として、イマムラハナコさんの場合)
ハナコさんは食事の後、食べ残しを並べる習慣がある。母はそれもアートではないかと考え、その食べ残しの行為を写真に撮り続けた。それを作品化、映画化と発展していった。そのような関わる側の意識が必要。
山野君も最初、来た時はとても不安定な感じだった。きっかけは大きな国宝級のような和紙に出会って、彼の制作意欲がはじけた事。それまで四つ切くらいの大きさの紙に描いていたから。
Q4:絵を文字で見る試みについて、先天的に失明された方の場合のサポートはいかにされているのか?途中失明の方とは異なるのでは?
A4:
光島氏:自分の場合は10歳の頃失明した。遠近法は理解していない。仲間には失明の時期いろいろの人が居る。その人に合せた対応が必要。
塩瀬氏:他の感覚が協働して視覚を補っている。その人の得意分野を活用すること、それを見つけ出す作業が必要。先天的に失明された方は、身のまわりのものについては感覚的に理解出来ているけれど、遠方の景色は理解出来ない。例えば富士山の絵などを伝えるのは難しい。その場合、その方が登山経験があれば、そこを活用して景色の雄大さを伝えるなどしている。

Q4追加質問:視覚健常者の視覚世界とは違った世界、新しい世界観が共有できるのでは?
光島さんの頭の中には、絵を言葉で説明受けて、どんな風に絵ができあがっていきますか?
A4追加質問回答:光島さん:一枚の絵を描くような感じ。サポートする方とやりとりして絵を一緒に育てる感じですね。

Q5:岡本太郎の絵で、最後の方に青ネギが猪突にでてくるとどうですか?
A5:光島氏:あとで、広げたりすると、混乱することもあります。

Q6:アートミーツケア学会とは?
A6:中川氏:アートの届きにくい人、社会的なマイノリティの方に、それは障害者だけでなく、病気で入院している人、介護施設に居る人、震災の被害者達などに、アートを届ける試みです。しかし、そこで留意しなければいけないのは、ソーシャルインクルージョンが画一化につながらないか、という事と、包摂と言っても誰が誰を包摂するのか?という問題があります。
アートの持っている多価値の活用、アートは人が生きることを助ける。アートを通じての社会参加から社会変革へ。