ギュスターヴ・モロー展を観る

兵庫県立美術館にて、ギュスターヴ・モロー展を観る。

http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/index.html
兵庫県立美術館のHPより

僕はあまりよく知らなかったけれど、カーチャンが好きらしく、見に行く事に。僕的には安藤忠雄氏設計の美術館ということで、施設への興味半分というところだった。
でもモローの作品に接すると強く心動かされました。展覧会観に行くまでに、モローのこと知りたくて、画像とか眺めていて、その為か、ここのところ、不思議な夢をたくさん見ていて、今日、モローの実物に接して、夢の中に出てきた光景に、かなり近い感触のものがあって、なんとなく腑に落ちる。感覚的に捉えたイメージを思いながら、少しづつその意味とか理解していこうと思う。
モローの作品は、タブローとして完成させることへの執着の無さというのか、もしくは逆に、いかにすれば完成させずに、延々とイメージの生成が続けることができるのか、ということに対する強いこだわりのように感じる。
同じ美術館内でコレクションとして公開されていた、具体美術協会創始者吉原治良氏のように、散逸するような流動的な作品生成法を採る作家達の試みが、実際には、作品制作のプロセスに関わる人々との、通過儀礼的な行為の共有によって、行為が停止する、完成するという形が、明瞭になっている、作り方と対極をなすと感じる。
少し時間をかけてモローのこと感じてみよう。良い展覧会でした。
美術館自体に対しては、僕はあまり良い印象を持てませんでした。冗長度の低い空間に長時間居ると心身ともに疲労する。兵庫には、故村野藤吾氏の兵庫県立近代美術館http://hyogo-arts.or.jp/harada/(現在は県立美術館の分館として原田の森ギャラリーという呼称になっています)という、素晴らしい空間があるのですから、イメージの継承をして欲しかったですね。秩序があるような、無いような、空間構成と、あのアルミ合金の柔らかいドアの感触は今でも忘れられません。