栄光のオランダ・フランドル絵画展を観る

夙川から元町へ出て、中華街であれやこれやテイクアウト食べ歩きながら、昼食。少し歩いて博物館へ。
予想していたより、空いていて、じっくり観れると思いきや、アーチャン限界きたようで、なだめながら落ち着かず。フェルメールの「画家のアトリエ」も、空いていたので一番前で抱っこして、見せようとするのですが、後ろのオペラグラスで見ておられた方が気になって、ずっと後ろ向き。仕方ないね。
この展覧会は目玉作品として、フェルメールが生涯手離さなかった「画家のアトリエ」を副題にしているけれど、僕的には、多産的な作家のルーベンスの作品に強く引かれるところがある。ほとんどの作品がアトリエの協同作品らしく、ラフスケッチに基づいて弟子の画家が作成し、フィニッシュのみルーベンスが手を入れるというパターンであったり、今回の出品作「キモンとエフェゲニア」のように静物画の部分のみそれが得意な他の画家に描かせたりしていたらしく、そのような混成系の作り方が、特に興味惹かれますね。1615年作成であり、画面が修復されたものなのか詳細分かりませんが、近くで見ても一本のヘアクラックも見えませんでした。おそらくパトロン肖像画にヘアクラックが入る事など、許されることではない時代であったのか、そのゆるぎない画面の力に目を奪われますね。
おそらくその為に、下塗りの工程に相当のノウハウがあったのではないかと想像する。随分以前、僕が中学3年の時、京都市立美術館にゴヤの大掛かりな展覧会が来て、見た時に最も印象に残ったのは、おそらくパトロンに説明する為に制作されたのであろう、下塗りの状態の絵と、その完成形の絵が併置されていたところだった。下塗りのままの絵は、その時感じた内容を今、言葉に直せば、無意識レベルを意味の階梯無しで並べた状態に思う。そして、それを仕上げとしての意識の部分が薄く覆っていく。そして、無意識の層は、ゴヤのそのようなサンプル的な小品としてのプレゼンでもなければ、決して表面に現れることもないところである。ルーベンスの場合、絵画手法において、おそらく同様の丁寧な作業があり、協同制作のレベルにおいて、個人の枠を超えようとしている。そして、それがこの時代のフランドルの専門画家達の普通の作業であったであろうというところが、さらに探求してみたいテーマですね。
対して、フェルメールの「画家のアトリエ」は、なかなか理解が難しいですね。これは彼が生涯手放さなかった作品という事は、パトロンも無い、自分の為だけに描いた作品だったのだろうか?その為か、彼の死後、フェルメール家は破産したようだ。外交官でもあり、成功裡に生涯を終えたルーベンスと様々な点で対照的な人だったのだろうか?
「画家のアトリエ」の図録で見れる無数のヘアクラックが、気になっていた。でも、実物は肉眼では、それほど気になるレベルのものでは無かったと感じる。そして、彼が偏愛した古地図に目がいくと、そこには無数に描かれた古地図の皺やクラックがあり、僕の頭の中は混乱する。彼は古地図を偏愛したのか、それとも皺やクラック自体をなのか?クラックの微細な隙間から無意識の層が滲み出るのか?何とも悩ましい絵である。ゴヤの絵画を見た時の印象が20年以上経ってから、少し理解ができたように、フェルメールの絵画もまた、意識的に語れるまでに長い時間を必要とすると感じる。今はまだ観て直ぐだから、本当のところはよく分からない。モデルとモデルを描く画家(多分フェルメール自身)とそれを俯瞰するフェルメール自身によるメタな視線という、実物を見る前にイメージしていた自分なりの解釈の枠は、絵を前にして消えていた。

栄光のオランダ・フランドル絵画展(フェルメール「画家のアトリエ」)
7月17日〜10月11日
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/tokuten/2004/03_khm.html
神戸市立博物館