「新撰組!」第21回「どっこい事件」を観る

沖田総司が初めて人を斬る、そして不思議な感情に包まれている。沖田総司だけが、ドラマの中で通過儀礼的なポイント描かれることが多いような気がする。浪士組参加の決意として頭を月代(さかやき)にする場面もそんな捉え方だったと思う。浪士組にとって、京都で将軍警護に付き、名声を得ること全体が通過儀礼のようであり、そこで人格も変わっていくんだろう。
揃いのユニフォームの次は旗、おきまりのコースですね。シンボリックなものを獲得していく近藤派と落ちこぼれ始める芹沢鴨の描かれ方に、三谷さんが両者を等しく見ている感じがあって、それらが実際には、そんなに離れてはいないんだというメッセージのようにも感じる。
僕にとっての通過儀礼的な経験は何だったろうと、思わせるシーンの連続ですね。僕にとってアートは通過儀礼的な経験であったかと自問しても、たぶんそれは違っていて、むしろそれを引き伸ばすというか、無効にしてしまうような、ものであるかも知れないですね。
旗の朱色(血の色のような)、羽織の浅葱(青)色、鴨に斬られた力士(舞の海)の葬儀の白と黒の色の世界と、今回も日本の古来からの四原色で描かれる。http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20040517#dramaこれからずっと殺戮の場面続くと思うと、少し気分が重い。