『脳は美をいかに感じるか』

popstarcrazyさん、お勧めの、『脳は美をいかに感じるか』セミール・ゼキ著ASIN:4532149606(借りる)
図書館のネットで予約して、近くの図書館からメールで到着通知がくる。この手の本は借りる人少なく、だいたい3日もすれば来る。
著者はロンドン大学の神経生物学の教授さんですね。目次バラバラ読みの悪癖治らず。
脳と視覚の関係について、多岐に渡り記述があり、アーチャンのPWSに特有な視覚を僕なりに解釈する際の、志向性を与えてくれそうな感じがする。
僕の好きな人物の名を手掛かりに焦点を合わせてみる。
P189からの「視覚を剥奪された脳とプラトンイデア」の章を読むと、だいたい、この研究者さんの考えが掴める。セミール・ゼキさんはプラトン嫌いみたいですね。でも、原題の”INNER VISION:An Exploration of Art and the Brain"のままの方が作者の意図はよりよく伝わりそうに思うけれどね。「内部観測」という視点は難しいけれど、僕も少しづつ理解しようと思っている。

神経科学的解釈では、ある形のプラトンイデアあるいはヘーゲルの概念とは、脳内に蓄積されている、それまでに見たその形のすべての例についての情報である。何も見たことがなければ、その形の一例も認知することはできず、まして多くの形を概念にまとめあげることなどできるはずがないのである。
一部引用

要するに内部観測とはイデアのような超越的なものが世界の外側にあるとすると、世界とイデアを足した全体を考えなくてはならなくなり、そして、それを包含した全体のさらに超越世界をと、無限循環になってしまうから、駄目ですよ、という論法のようにも感じる
プラトンはその矛盾にも気づいていたし、むしろ世界は生成していくものと捉えていたから、経験に先立つイデアの哲学(現代哲学では常に批判されるモデルですね)より、その部分評価して欲しいですね。何しろ紀元前5世紀の頃の人ですからね。日本なんてまだ弥生時代?その頃に既に神と人間の中間的役割としての造物主(デミウルゴス)の概念を考えている。そこに既に超越論ではない視点のあり方についてのヒントがあるはず。ハードとしての脳、ソフトとしての視覚や意識という分離した関係ではなく、分離しがたい混合物として捉えることはできないか?
イデアと同じような概念のエイドス(形相)という言葉が僕は好きだから愛用しているし、プラトン批判満載の本は少し辛いな。
プラトンと反遠近法」神崎繁 (著)もぜひ読んで欲しいですね。名著です。
単純に僕が「反遠近法」的絵画が好きなだけとも言える。