クロニクル、クロニクル!

午後、北加賀屋名村造船所跡へ「クロニクルクロニクル」展を観に行きました。

クロニクル、クロニクル!
http://www.chronicle-chronicle.jp/

キュレーターの長谷川新さんが、私が20代の頃、信濃橋画廊でいつも励ましてくださった敬愛する福岡道雄さんや同じ時代のユニークなアーティスト達を再評価する企画展(「無人島にて」展)を少し前にされたこともあり、感謝の気持から注目をしていました。
名村造船所跡に着いたのが3時前くらいでしたが、空いていて、2〜4階の展示室の各フローに私ともう一人くらいでした。
最初の日曜日だし、もっと混んでると思ってたので、でもじっくり作品観れたし、写真撮影もOKだったので、独り占め状態で撮りまくりました。
でもあんまり撮りまくり過ぎて、印象悪かったのか、笹岡さんパフォーマンスをランプ下げてされてましたが、挨拶しようと思う前にどこかへ消えました(すいません)
4階は、あの広い原寸場でたった一人でした。
昨年、このはな区のthe three konohanaで拝見した今回のキュレーターの長谷川新さん企画の展覧会が、ご本人のコメントで、「描いたり消したり」的なテイストとの事でしたが、でもコンセプト自体はとても深化可能なものでしたので、今回の展覧会では、作品自体かなり強度のあるものではないかと思っていました。

the three konohana Director’s Eye #3 「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150301/art
(MIRRORの単語は棒線で抹消表示)

でも故人の過去の作家の作品は主にレプリカでしたし、現役のアーティストの作品は、さらに仮設性の強いテイストのものが多い印象でした。
「描いて消して」的なテイストが、従来的な意味での「作品」制作の為の補助線を引くような行為なのではなくて、現代アートの、コアな部分として現代アートそのものとして、捉えておられるのか、そこはキュレーターの長谷川さんに、お聞きしてみたいところですね。
1960年代のマネキンが裸のまま複数展示されていて、それぞれ制作者のお名前も表記されていて、普段、売り場で背景に退いているマネキンをアートとして、アートのカテゴリーの拡張もしくは無効化のような試行をされていますが、これは特に支持したい考え方ですね。
斎藤義重さん(故人)の立体のマケットや設計図(良く見比べると作られた立体作品とは微妙に異なっている)もとても良いし、会場で流れているインタヴューをヘッドホンで聞くと「静止しているのではなく、動く直前の状態なんだ」的なこと言われていて、不安定構造の持つ魅力にシンパシー感じますね。
少し異質な印象の谷中佑輔さんの作品は、同じく長谷川新さんのキュレーターでなんばのcasさんで拝見していました。

椎原保+谷中佑輔 「躱(かわ)す」
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20151106/art

最近私が意識している「触覚(皮膚感覚)/言語」のコンセプトに近いように感じる造形をされていましたし、今日のクロニクルの会場ではさらに深化した様相の作品群でした。細い人体彫刻像が、吉原治良さん(故人)の緞帳の原画とシンクロしているような印象。緞帳原画は人物がシンボリックなラインへ、文字と人体の中間体のようになっているのですが、そのイメージと谷中さんの立体が偶然なのか、意識的なのかイメージが重なってきました。
まだ展覧会始まったばかりなので、あまり詳しくは書けませんが、ひとつの人体彫刻は、ラバーハンドイリュージョンを思わせるような構成となっていて、興味深い。
長谷川さんのtwitterに、夕方が良い的なこと書かれていて、たしかに映像作品は造船所の明るい作業場の窓をフルオープンのままなので、少し薄い感じで上映されていたので、夕方再訪したいですね。
詳細な感想、後日書こうと思う。
お薦めの展覧会。